日々是好日 - Seize the Day

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

垣間見える富士山!

 ぼくは、歩いていてふと見える富士山や遠くにかすかに見える富士山、それから、何かと何かの間に見える富士山が好きだ。


 思えば、高校生の時、通った学校の所在地は富士見町だった。教室の窓から富士山が見えた。けっこうきれいな富士山で、晴れた日は、授業中、富士山をぼんやりと眺めていて、先生に注意されたのを今も覚えている。


 最近、通っている職場は東京の富士見坂というところにある。7階の窓から、時折、ビルの谷間に富士山が見える。いつも富士山が自分の身の回りにあるような気がする。ただし、静岡県とか山梨県などとは少し事情が違う。


 「垣間見える富士山」


 そう、あちこちで垣間見えた富士山が心に染みている。


 大きな富士山も見たこともある。大学生の時、大晦日の夕方から元日の朝まで、富士急ハイランドで切符切りのアルバイトをしたことがある。朝、休憩がてら外の空気を吸いに行って、ふと見上げたら、真上に巨大な富士山がある。圧倒された。一度きりの巨大な初富士。当時の写真は持っていないが、心の中に焼き付けられている。その他、新幹線の窓から見えた富士山、稲村ケ崎や江の島から見えた富士山も記憶にあるけっこう大きな富士山だ。


 そうした大きな富士山もいいが、やはり垣間見える富士山もいい。何か大きな富士山を見たくてもなかなか見られないから、逆にそういう「垣間見える富士山」が好きになったのかもしれない。


<横浜大桟橋から見える富士山>

<目黒区天空庭園からうっすらと見える富士山>

<東京都狛江市の多摩川沿いの道路から見えた夕焼け空の富士山>

<小田原城から見える富士山>

<小田急線の窓から見えた富士山>


 小田急線で藤沢市に向かう途中、移動する電車の窓から見えた富士山。出勤のため、東京へ向かう途中、二子玉川のホームから時々見える富士山。散歩に出て、東横線多摩川駅のすぐ近くにある浅間神社から多摩川を挟んだ向こうに見える富士山。目黒区にある天空庭園から見える富士山。みな一部分だけが見える小さな富士山だ。


 最近見た富士山と言えば、これも忘れられない。去年の暮れ、横浜大桟橋に行って、ぼんやりと赤レンガの方向を眺めていた時、近くにいた少年が「あれ、富士山?」と言ったので気づいた。横浜のビルとビルの合間にうっすらと富士山が見えた。写真を撮っていると、知らないおじさんが近づいてきて言った。


 「ここは有名なんです。この場所からしか見えないんです。今はうっすらとしか見えないけど、日が暮れると、きれいに見えるんですよ。市長が再開発をして、この景色を壊そうとしているんです。」


 市長への批判を言いたかったのだろうが、「そうですか」と言って、いったん富士山が見えるスポットから離れて、桟橋の待合室でしばらく時間をつぶしてから、日が沈むころ戻ると、案の定、夕焼け空の下に富士山がくっきりと見えた。

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