和の国、日本!
正月5日、世間では多くの人がもう仕事を始めていることだろうが、ぼくの仕事始めは来週からだ。思えば、この数日、いい天気が続いている。今日も寒いものの、天気がよくて、窓から富士山も見える。お天気につられて、ここのところ、あちこち行った。初日の出、それから神社への初詣にも行った。今日はいい天気だし、お寺にも参拝に行こうと思う。ただ、昨日のニュースによれば、どこのお寺も大混雑だという。
そう言えば、ふと思った。なぜ、神社にもお寺にも行くのだろうか。それが日本的なのだと誰かが言ってたような気がする。神仏習合などということばもある。歴史的にも日本は色々な文化を取り入れてきたのだし、そうすることが伝統なのだと言うことも効いたような気がする。初日の出を拝みに行った時、そこに大勢の若者がいたことはすでに書いたが、最近の若い人たちも伝統的行事を重んじている人ような気がする。
伝統を大事にするのは確かにいいことだ。だが、あれこれ拝むのはどうなのだろうか。例えば、イスラム教徒がキリスト像を拝んだり、仏像を拝んだりはしない。あれこれの神様にお祈りするのに少し疑問にも思うし、不思議だという気持ちは消えない。
やはり、これが日本的なんだということか。それで疑問に思わず、日本人なんだからそれでいいんだと思えばいいのか。考えてみれば、かつての日本の名称である「和」というのは「調和」の「和」だろうか。異なるものを調和させるのが日本的。それでいいのだろうか。クリスマスを祝い、神社に参拝し、お寺に参拝し、儒教の礼を尊重する。それが日本なのだということか。疑問は尽きない。