日々是好日 - Seize the Day

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

お葬式!

 今日、朝早く出かけ、3時間余りかけて、千葉県に行き、久しぶりに葬式に出席した。親友の父の葬式だ。故人と話したのは生前に一度しかないのだが、棺桶の故人に献花をするとき、尊顔を拝見し、当時のことが思い出され、涙が止まらなくなった。その後、親族の方たちといっしょに火葬場にまで行った。
 思うに、人は死に接することで、大事なことを身につけるのだろう。ぼくの生き方の中には、親友の死、祖母の死、父の死がぼくを生きさせているように思う。ぼくの父が亡くなったのは37年前、あの時、葬儀でお経を唱えてくださった和尚に教えられたことがある。葬式は故人のためではない。残った人たちのためにするのだということ。これから、どう生きるのか、故人をしのび、その思いを受け継ぐというものだった。
 もう一つ忘れられないのは、和尚のお経の中で聞いた「朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて夕べには白骨となれる身」ということばだ。朝、元気な顔で出社した父が夕方、白骨となって帰ってきたのだ。それが人間だと。人は誰にも、いつ何が起こるのかわからないのだ。人の死は多くのことを教えてくれる。生を考える根底には死がある。 
 父とは生前の記憶があまりない。好きではなかった。だが、通夜の席で、父の同僚たちがぼくのことをとても心配していたというのを聞いて、意外な気がした。それからだ、父がどんな人だったのかを考えるようになったのは。いろいろな人の話を聞いて、父の気持が少しわかるようになった。今も父は心の中に生きている。

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