地震と母
さっき9時42分ごろ、けっこう長い地震があった。天井につるされた電灯の紐の先につるしてある小さなボールが揺れた。テレビも揺れた。母は怖い怖いという。揺れがおさまったあとも、「不安だ!不安だ!」という。
震源地は茨城県北部(北緯36.7度、東経140.6度)だそうだ。茨城県高萩市で震度6弱。日立市で震度5の強と弱。千葉県南部、ぼくの家がある神奈川県東部は、震度2だそうだ。
震度3にしては、けっこう長い揺れだった。母が不安がる気持ちもわかる。しかし、いつも「死にたい!死にたい!」と言っている母が何を不安がるのか。何も不安な材料はないはずだ。母が言うには「年取ったからかな?」という。いやいや年取ったら、落ち着かなければと諫める。
2011年3月11日2時40分に起きた東日本大震災の時もそうだった。母はおびえていた。あの時も、「何がどうなってもかまわないはずでしょう!」と諫めた。ふと思い出すのは、石川啄木の「戯れに母を背負いてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず」だ。
母は三人の兄弟を育てた。厳しい母だった。忘れられないのは、小学校時代、ぼくが宿題をしている時、母は消しゴムを手にすぐ横にいた。字が汚いと、さっとその消しゴムで消す。高校生の時、朝はいつもケンカしながら、母に起こされた。「もう7時半よ!」と言われて時計を見ると、まだ7時だったりした。おかげで、高校三年間、欠席はゼロ。一度、日曜日に外泊して、次の月曜日に一度だけ遅刻した。子供3人を育てた強い母だった。
その母が老いて弱りつつある。風が強い日、二人で買い物に行けば、飛ばされそうだとぼくの腕をつかむ。買い物から帰ってきたら、「あっパンを買い忘れた」。「買ったよ」。バス停に行く時、遠くからバスが通るのを見て、「バス行っちゃった」「あれは違うバスだよ」。「今日、朝ご飯を何を食べた?」。そうかと思うと、「今日、銀行でお金を下ろそう」「いや、明日にしよう」「いややっぱり・・・」とブツブツ繰り返す。「決めたら、決めたとおりにすればいい」と諫める。
日本列島で今も地震は続いている。この3か月で、鳥取県中部で305回(最大M6.6)、福島県沖で181回(最大M7.4)、熊本県で126回(最大 M4.2)などだ。回数は震度1以上の回数だ。ここにいて、体に感じる小さな地震もしばしばある。離れたところのニュースを見ても、母は「不安だ!不安だ!」という。「早く死にたい」ということばと裏腹に不安がる。地震とともに母がどんどん弱っていくような気がする。