他を受け入れる!
朝、出かけようとしていたら、インターホーンが鳴った。受話器を取って、「どなたですか」と問うと、「~に住んでおります〇〇〇という者です。今日は少しお話をしたいと思って参りました。」と長々と話す。だから何なんだ?と思いながらも聞いていると、「世界のベストセラーである聖書について」と言われて、「すみません、興味がないので、失礼します」と言って受話器を置いた。
キリスト教にはこういう布教活動がある。みんなお疲れ様だけど、よくよく考えてみると、我が家の宗教である仏教にはこういう布教活動がない。なぜだろうかと思った。ふと思うのはキリスト教、イスラム教、ユダヤ教と言った世界の宗教は争いが絶えないこと、そしてテロの背景に宗教があることだ。この布教活動と戦争と何か関係があるのだろうか。
仏教がもとでテロがあったということはまだ聞いたことがない。もしかしたら、仏教こそ平和を求めるのにふさわしいのではと思った。考えてみれば、布教活動は他の宗教を信じる者を自分の宗教に引き込むものだ。ぼくは阿弥陀や日蓮や親鸞やいろいろな人を尊敬し、いろいろと学びながら生きているが、考えてみれば、キリスト教のお祭りも受け入れ、神道も受け入れている。しかし、基本はただ仏教だというに過ぎない。
ところが、一神教である宗教は他の宗教を排斥するという。キリスト教徒が他の宗教を受け入れるということは聞いたことがないし、イスラム教に至っては他の宗教を受け入れないばかりか、女性の学習することや肌を見せることまでも禁じてている。仏教はあらゆるものを受け入れる。悪人までも受け入れる。「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。」という。厳しい規律も少ない。平和な宗教だ。他の信徒を勧誘することなど聞いたことがない、ひそかに信じておればいいのだ。
今日、ドイツのミュンヘンでトラックがクリスマスマーケットに突っ込んで60人余りの死傷者が出たというニュースがあった。首相はテロリストの犯行だという。また、トルコでロシア大使が警察官に射殺されたというニュースもあった。背後には何があるのか見えないが、もし宗教なら、ぜひとも他を受け入れるということを考えてほしいと思う。これは、ぼくらの周りにも言えることだ。他を受け入れることが、平和につながることを。