勤労感謝の日に思うこと
勤労感謝の日というが、いったいどういう意味だと思った。ぼくは、単純に考えて、働くこと、働けることに感謝して、一日働きたいと思うのだが、残念なことに、今日は休日だ。
辞書で調べてみた。大辞泉によると、国民が勤労を尊び、生産を祝い、互いに感謝しあう日とある。ブリタニカ大百科事典も調べてみたら、もともとこの日は新嘗祭で、新穀を天地の神に供え、天皇自らも食する儀式の意味だった。いわゆるThanksgivingday(感謝祭)だったとある。
まあよしとしよう。とにかく働き方を考える人でもいえばいいのか。ぼくは死ぬまで働きたいと思っている。働けるということはいいことだ。大事なのは金ではない。働くことで社会貢献できることが素晴らしいのだと思う。
ぼくの父は仕事に行って、仕事中、心筋梗塞で病院に運ばれて、亡くなった。以前の恩師で大学教授の人に、91歳まで働いて、ばたりと亡くなった人がいる。相撲取りなら土俵の上で亡くなるということか。ぼくは大学生の時、サッカーをしていて、ポジションはゴールキーパーだったが、当時、ゴールポストに頭をぶつける恐怖があったが、好きなサッカーをしながら亡くなるなら本望だと考えていた。
今でも変わらない。仕事をしながら、死を迎えるというのはすばらしいことだと思っている。死はいつやってくるかわからない。その瞬間、前を向いて働いていたいのだ。後悔をしたくない。いつでも、いつ来るかわからない死をいつでも迎えられるように準備をして、生きていくのだということをいつからか考えている。今この瞬間もだ。
こうした考えは、アメリカ映画「今を生きる」から、また、日本の映画「生きる」から学んだことだ。それから、『徒然草』を読んで、死を見詰めることによって生を充実させられるのだということを思った。他の人はどう思うか知らないが、常に死は目の前にあるのだ。