桜の木の光と影!
春には美しい姿を見せる桜の木も今は、葉がまもなく落ちてしまいそうだ。これは桜の木の影の部分。桜を愛する人は冬の桜も愛さなければならない。
人も同じ。時に美しい部分を見せても、時にただの枯れた桜と同じ時がある。すべて、ものには光と影がある。影の部分も認めなければそのものを或いはその人を愛することにはならない。
なぜ、こんなことを言うかと言えば、ぼくが子供のころ美しかった母が老いて、多少醜くなっているが、そんな母も愛さなければならないと思うからだ。
老妻が近くにいるなら、同じことだ。いいときだけ愛でるのは間違いだ。もちろん、桜は、また美しい時を迎えるだろう。人はもう一度美しい時を迎えることはない。
このことは嘆いても仕方がない。人が人を愛するということは美醜ともに愛することだと思うし、それは、人の光と影をともに知って、愛することだ。
プラス面だけを見て愛して、マイナス面を見て、嫌悪するなら、それは愛ではないだろう。人もものもすべて美醜を併せ持っている。