日々是好日

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

都心に通う!

 センテナリアンと自殺者数


 百歳以上の人をセンテナリアンというが、その数の多いのは地方である。都会の周りではセンテナリアンが少ない。その理由は何だろうか。また、自殺者数についても、都心ももちろん多いが、都心の周りも多い、その理由は何だろうかなんて考えながら電車で通勤している。


 満員電車


 今日、帰りの電車、左右の人の足があるいは荷物がぼくの足の両サイドをがっちりと固定していて、両足は揃えられた状態で左斜め前方を向いていた。つまり、両足のつま先は左に、かかとは右の方にあった。原因は右のおじさんが左足を外股に開いていて、その形のまま、僕の右足が左斜め前方に向いていたのだ。左足もそれに従って左斜め前方を向いている。踵だけは後方で右側に寄っている。
 そして、駅に着いた。どどどっと人が乗り込んでくる。押される、どんどん押される。体の上半身は右のおじさんの上半身に密着して、そのままおじさんを押す。ほとんど45度ぐらいに傾いたからだ。足はそのまま固定されている。おじさんの足は股を広げて踏ん張っている。だが、僕の体は足は左へ向いたままなのに、上半身だけは右に傾いている。この変則的な姿勢をどこまで続けるのか、かなり疲れる。


 勤務状況


 ぼくは今週五日間、半日ずつ仕事をしている。午後だけの仕事だから、朝の通勤ラッシュは経験していない。だが、午後出勤して、3時間半の仕事なのだが、実際は6時間近く職場にいる。10時半に出かけて、帰るのは18時半から19時ごろ。簡単に言えば、出勤時間の30分から1時間前に出勤する。そして退勤時間後も30分から1時間くらいは残って仕事をする。これは当然のことだ。結果、かなり疲れるが、これが仕事だと思っている。しかし、これは日本だけの常識ではないのか。どこかの広告会社ではもっとすごい常識があるのかもしれない。3時間や4時間の残業は当たり前とか。日本は何かがおかしいと思う。


 日本の常識とセンテナリアン


 今、半日ながら通勤していて思うことは、この人たちの疲れはぼくの二倍なんだということ。ぼくは帰りの電車でめちゃくちゃ疲れている。だが、朝、2時間近くかけて出勤し、夕方、あるいは残業した後、1時間半かけて帰宅する人たちは同情してもしきれないほどに疲れているのだろう。都心に通勤する千葉県、埼玉県、神奈川県の人たちにセンテナリアンが少ない理由はこの辺にあるのではないだろうか。そして、自殺者の多いことも関係しているかもしれない。


自殺

 日本人で自殺する人が多いというのはよく言われることだ.。それも、日本より人口の多いアメリカよりも多いというのは悲しいことだ。
 約20年前のことだが、交通事故死者数が1万人で、自殺者数は3万人以上いるという話を聞いた。交通事故死者数も多かったが、警察の努力ののかいあってどんどん減って今は1万人以下だと聞いている。一方、自殺者数はなかなか減らない。ここ十年で1万人減って2万数千人になったというが、それでも多い。
 僕が大学生の時、一人の親友が首吊り自殺で亡くなっている。ものすごいショックを受けた。僕が死なせたんだと思った。ぼくも何度か自殺を考えた。自殺は他人事ではない。だが、一つ言いたいことがある。自殺は最悪の罪だと。
 人を殺すことも罪だが、自分を殺すことは最悪だと思う。なぜなら、人間というこの地球上で反映する生き物を否定することになるからだ。言い換えれば、人類を否定するものだからだ。人間には悪い面といい面がある。それは明らかだ。そして、その全体を認めることこそが正しいのだと思う。
 人は生きている限り、誰かの役に立っている。どんな極悪人であっても、誰かの生きがいになっている。そう思う。ぼくはつまらない人間だ。だが、母のために役に立っている。そして、ぼくの知らないところで、ぼくのしたことが誰かの役に立っている、そう信じている。そうして精一杯生きている。
 世の中に一人として無益な人間はいないと信じる。無益な奴なんてどこにもいない。すべての生きる人には生きる意味がある。それこそが真実だと信じている。自殺はこの世で最大の罪だ。それを信じて人のために生きてほしいと願う。


大きなエビで小さなエビを釣る!


 中国の笑話にこんな話がある。
 ある漁師がたまたま大きなエビを釣り上げた。だが、彼はここで止めないで、その大きなエビを餌にして、また釣りを続けた。だが、次の結果は小エビしか釣り上げたに過ぎなかった。それでも、彼は、その小さなエビを餌に釣りを続け、さらに、繰り返し、釣った魚やエビを餌に釣り続け、最後にはクジラを釣ったという。ただし、クジラを釣ったことで、逮捕されたということだ。
 これは、目先の小利に捕らわれず、努力を続ければ、いつか成功するということを教えている。確かにその通りだ.。オリンピック選手が銅メダルをとっても、そこで満足せず、銀メダル、金メダルと目指していく姿勢は重要だ。ブログでもそうだ。「継続は力なり」という言葉のとおりだ。
 だが、ここには問題がある。少し大きな利益を得たところで、それに満足せず、さらに大きな利益を求めて、作業を続けるというのは、例えば、株で小さな利益を得てもそれに満足せず、さらに利益を追い求めたらどうなるだろうか。例えば、パチンコで小さな利益を得て、その利益をもとに大きな利益を求めていったらどうなるのだろうか。問題は「吾、唯足るを知る」ということを知らないことだ。欲望を限りなく追い求めれば、かならず失敗する。
 すべてを失っても、もう一度、小さなあるいは中くらいの利益を求め、最後には大きな利益を得られることを夢見て、結局はすべてを失うことになるのではないだろうか。特にギャンブルにおいてはこれは禁物だ。小さな利益で満足することがとても大切なことになる。
 ただ、スポーツ選手の技術に関してはこの限りではないだろうが、快楽や金銭に関して言えば、あきらかに問題だ。以前プロ野球の落合選手が1億円の年収を求めて、球団と交渉を続けた時、思った。この男は「吾唯知足(われただたるをしる)」を知らない男だと。今のぼくの年収は落合選手が要求した1億円の50分の1ぐらいだ。だが、決して今以上を要求しない。今ある小さな幸せで満足している。大きなエビどころではない、小さなエビで満足しているのだ。

北方領土!

 今月15日、安倍首相はロシアのプーチン大統領を山口県に迎えて首脳会談をする。この席で、北方領土問題に何か進展があるのだろうか。
 以前、テレビで見たのだが、日本から見れば、北方領土を返還せよと言うが、一般のロシア人たちは、この四島はもともとロシアの土地なのだという教育を受けていて、彼らから見れば、「返す」ということ自体間違っているそうだ。今、プーチン大統領が一島でも日本にただで引き渡すようなことがあれば、大統領の支持率は一気に下がると考えているらしい。
 一方は返還と言い、一方は返還とは言わない。ただで渡すなど考えられないという。歴史認識に大きな違いがあるようだ。歴史認識は教育が作る。竹島問題でも、尖閣諸島の問題でもそうだが、教育の力は大きい。教育が国民を動かしているように思う。かつての日本もそうだった。日本は神の国であるという教育を徹底したことで、日本軍は「神風」となった。
 今、領土問題について考えようとした場合、どの国も自国に有利な教育をしているように思う。太平洋戦争末期、日本の敗戦が濃厚となった時に、どさくさ紛れに四島を奪ったことをロシア人たちは忘れている。これでは、一島だってただでは戻らないだろう。おそらく、二島返還あるいは共同開発と経済的な何らかの代償を支払うことになるのだろう。


親の幸せとは?

 ぼくは母に言い続けた。お母さんが、幸せだと思うことが僕の幸せだと。だが、それは間違っていた。

 僕の娘が言った。「わたしは幸せよ!安心して!」これほどぼくを幸せにしてくれる言葉はなかった。

 そうなんだ。ぼくが幸せだと言うことが母にとっての幸せなんだと。