日々是好日

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

難読名字

錦織、剛力、妻夫木、忽那、水卜、蓮佛など、なかなか読めない名字だが、テレビをよく見る人は良く知っているはず。


雑誌で見つけた難読名字に乗っていた難読名字のうち、パソコンで変換キーを押したら、出てくる名字をいかに列挙しました。読めますか?


01、小島遊
02、薬袋
03、七五三
04、黒葛原
05、哘
06、治部袋
07、蟇目
08、人首
09、百足
10、八月朔日
11、四月一日
12、毒島
13、百目鬼
14、四十八願
15、舎利弗
16、野老
17、一寸木
18、外郎
19、粟冠
20、飯酒盃
21、莅戸
22、四十物
23、日月
24、浮気
25、一口
26、百々
27、五百旗頭
28、栗花落
29、兀山
30、勘解由小路
31、目
32、雄
33、京都
34、養父
35、杠
36、井
37、東江

エイプリル・フール!

 北朝鮮でクーデターが起こり、現独裁政権が倒されて、国際社会と強調する新政権が誕生したとか。


 米大統領がメキシコとの国境に壁が作れず、大統領令も通らないことに苛立ち、ついに辞任するとか。


 ロシアの大統領が突然、日本との平和条約を結ぶために、北方四島を日本に返還することにしたとか。


 中国がベトナムやフィリピンとの和平を重んじて、南シナ海に作った人工島を放棄し、国際裁判に従うとか。


 画期的な自然エネルギーが開発され、原原子力発電所も火力発電所も必要がなくなったとか。


 今日開かれた国際会議で、世界中の国が、三年以内に、核兵器を放棄するという宣言を採択したとか。


 世界宗教会議が開かれ、仏教がキリスト教とイスラム教の仲裁に入り、今後、いっさいの抗争を取りやめるという約束をさせ、両宗教は互いに杯を交わしたとか。


 そんなニュースが流れたら、世の中、明るくなりそうだ!

アンチ・ジャイアンツ!

 Jリーグはすでに第5節を迎えたが、地上波のチャンネルではあまり放送してくれない。光テレビや最近始まったDAZNを利用すれば見られるが、そこまでして見たいとは思わない。いつも、ネットの速報を見ながら、地元の川崎Fを静かに応援している。夜にはスポーツニュースで全試合をまとめて見ている。


 昨日から、プロ野球も始まった。テレビで見ようとすると、日本テレビでは、ジャイアンツの試合を放送している。TOKYO MX(9チャンネル)というテレビ局では、何故か福岡ホークスの試合を放送をしている。


 野球に関して言えば、ぼくは小さいころからライオンズファンだ。いちばん嫌いなチームはというと、ファンには申し訳ないが、ジャイアンツだ。所謂「アンチ・ジャイアンツ」である。数年前に亡くなった義父が毎日のようにジャイアンツの放送を見ていた。そして、ジャイアンツが負けると、「愉快!愉快!」とはしゃいでいたのを思い出す。ぼくもいっしょに喜んだものだった。


 二番目に嫌いなチームはホークスだ。福岡県で働いていた時、同僚たちがホークスが優勝したと喜んでいる時、ぼくは一人でこっそりとがっかりしていた。今東京近郊に住んでいて、好きなライオンズの試合があまり見られない。ライオンズとホークスの試合がある時だけ、9チャンネルで見ている。ただし、気分が悪いのはホークスびいきの解説だ。気分を壊したくないから、ミュートにして見るようにしている。


 ぼくは、我こそ世界の中心だというような態度が好きになれない。権威・権力を振るうものが好きになれない。威張った代議士、大企業優先主義の自民党等々。中国人、中国文化はともかく、中華思想で世界を支配しようとする中国政府のやり方も好きになれない。他球団の中心選手を金に糸目をつけず、取り込むジャイアンツ、サッカーのバルセロナやレアル・マドリードも好きになれない。要するに「天邪鬼」なのだろうが、よく言えば、「反骨精神」が大好きなのだ。

満員電車

 一昨日に続き、今日も早起きして東京へ出た。いつもは午後からの仕事なのだが、今日は特別で、朝からの仕事だ。朝出勤で、一番嫌なのが、満員電車。今日もあっちへ押され、こっちへ押されしながら、両手を万歳して、吊革につかまっていた。

 スマホも見れないし、本も読めない状態だ。仕方なくいろいろ考え事をしていた。ふと思いついたのが、手塚治虫の「火の鳥」。人間の忌み嫌う死を反対側がから捉えた作品だと聞いたことがある。写真のネガのようにしてみる。つまり、永遠に死なない人間はどういうものだろうかという見方だ。

 電車に乗って、もしも、自分ひとりしかいなかったらどうだろうかと考えてみた。運転手はロボット、すべての車両の中にいる人間は自分ひとりだけ。職場に行っても、そこにはロボットのメンテナンスをする自分一人しかいない。そんなことを考えていたら、ふと、押し合いへし合いしているこの人たちも同じ人間だ。ああ、よかったと思えた。

 あっちへ押され、こっちへ押され、職場に着いた時はもうくたくただったが、会議中も、同僚を同じように見ていた。みんな人間なんだ。いとしい人間なんだと。人がいる。人が大勢いることがいいんだ。帰りの電車の中でも、スマホばかりいじっている老若男女、漫画を読んでいる中年、居眠りしている疲れた人、みんな自分と同じくいとしい存在だ。

 帰りにスーパーに寄った。今日作りたいと思った料理の食材を買って、レジを通って、さて、支払いをと思ったら、支払いは6番自動支払機でお願いしますと言われた。機械にお金を入れてお釣りをもらう。隣で戸惑っている人たちに店員が昨日からなんですと言っていた。そう言えば、一昨日行った病院も三度目だったので慣れていたが、支払いは、すでに、機械化されていた。

 そのうち、SF映画の中のように、ロボット運転手のタクシーも近い将来にはあり得そうだ。それに、日本の人口減少は進んでいる。一人しか住んでい村もすでにあると聞くが、東京はドーナツ化が進んで、都心になるほど住人が少ないという。人口減少と機械化とが加速度的に進めば、朝の電車の中で想像したことも近い未来に起こり得るように思えた。まあ、自分が生きている間はまだまだだと思うが。

言い間違い!

 三学期の終業式で、校長先生が高校生たちに、年度最後の演説をしていた。「きみたちはなついあつもふゆいさむもよくがんばった。」。一瞬、何を言っているのかわからなかったが、ちょっと考えればすぐわかる。「暑い夏も寒い冬もよく頑張った」と言いたかったのだ。その間違いに最初に気づいた一人の高校生が大笑いした。

 それから、笑いは徐々に広がっていった。そして、教員たちも笑い出した。といっても、教員たちは口を押えて、笑い声が漏れないようにした。

 最後に、たった一人気づいていない校長先生はテーブルをたたいて、怒鳴った。「私が話しているのに、どうして笑うんだ!後になって考えれば、こんな間違い結構、あるんじゃないかと思った。

 例えば、「あらたしい」という言葉だ。本来、「あらたし」という形容詞だった。ある若者が言い間違えた。「あたらし」と。それから、「あたらし」が流行し、いつの間にか間違いが多数を占め、言葉が変わってしまった。

 発音の問題にも同じようなものがある。「情緒(じょうしょ)」という言葉、誰かが言い間違って、いつの間にか「ジョウチョ」になってしまった。「出生(しゅっしょう)」という言葉を誰かが「しゅっせい」といい間違って、それがいつの間にか「しゅっせい」が正しいとなっている。ひどいのは明解国語辞典だ。正しいほうを「老人語」とした。反発は多かった。

 「白いの車」。幼児語であるが、お母さんもいっしょに幼児と一緒に言っている。これは文法の間違いだが、日本語を学ぶ外国人も手伝って、このように言う人が少しずつ増えている。(まだ少ないと信じる)

 ほかにもあるに違いない。校長先生の間違いは、決して流行することはなかったが、間違いは誰にもあるということだ。そして、間違いはずっと間違いではない。時には市民権を得ることもあると思うのだ。

 用語間違いの例もある。自分の母親は「わたしの母」と言い、相手の母親は「あなたのおかあさん」と言うのが正しい。「~さん」「~様」は尊敬語だ。自分の母親をそういう言葉で表現するのはおかしいというのが日本語だ。だが、近頃、「わたしのおかあさん」という表現がテレビで何度も聞かれる。そのうち市民権を得るんだろうなと思う。

 今、思うことはただ一つ、間違いは間違いのままで終わることはない。時には笑いを誘い、時には市民権を得る場合もあるということだ。そして、言葉は生きているのだ、日々変化し続けているのだということ。ぼくがその変化について行けるかどうかということだ。決して目を背けることなく見つめていきたいと思う。

 それから、先生も言い間違える。それを批判するのも間違いだ。確率の問題だ。50%間違える先生はちょっと問題だが、10%程度なら、当然のことだと思う寛容さが必要だと思う。ただし、倫理的あるいは道徳的な過ちについは論外だ。