日々是好日

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

記憶の引き出し

 記憶の引き出しというのがあるとすると、それはいくつあるのだろうか、人によって違うだろうが、ぼくの場合、一つしかないように思う。たくさんある人は仕事用引き出し、家庭用引き出し、交際用引き出し、個人用引き出しなどというのがあるに違いない。


 ぼくの場合どうかと考えてみた。仕事用の引き出しがあっても、そこに別の記憶しなければならない時、いつの間にか、仕事の記憶が消えたり、家庭のために覚えておかなければならないことが、また消えてしまったりする。やはり、ぼくの場合は一つしかないように思う。


 一つの引き出しの中は仕事、家庭、友人、個人などと仕切られていて、それぞれが狭く、時々、仕事が増えた時はその記憶が他の仕切りの中にあふれてしまう。そして、少し混乱してしまうのだ。今日も一つ入ってきて、一つ出ていったため、今日しなければならないことをしなかった。


 クリアファイルもそうだ。仕事がいくつかあって、二つの学校で働いていて、それぞれ2クラスに出ている。今、4つのクリアファイルを用意していて、それぞれ資料などを入れてあるが、時々、混乱する。あの書類はどこかなと探してみると、別のクラスのファイルに入っていたりする。


 はじめに記憶の引き出しと言ったが、どうやら、ぼくの記憶は薄っぺらなクリアファイルのようなものに納められているのだろう。そして書類と同じように記憶が消えたりする。大きな机と引き出しがほしいと切に願う。もしだめなら、整理上手になりたいと思う。だが、それもどうしようもないようなものなのだろう。
 


 





なりたい大人の男

 「どんな大人の男になりたいか」という質問があったとする。


 すぐ頭に浮かぶのは、阿部寛、風間トオル、北大路欣也、小林稔侍、佐藤浩市、田中健、田村正和、地井武男、中井貴一、仲村トオル、中村梅雀、松平健、松田優作、役所広司、渡瀬恒彦、渡辺謙等などの名前だ。


 では、今、自分はどんな大人の男かと考えたら、もちろん容姿抜きに考えても、ひどく物足りない気がする。なりたい大人の男に近づこうという努力もしていないように思う。努力なしに前に進むことはできないし、仕事も人生もうまくいかないだろう。


 こんなことを考え始めたきっかけはアメリカの次期大統領トランプ氏の経歴をテレビで見たことだ。ここまで発奮して階段を上り詰めた原動力は何かと考えた。それは自身を理想とする自分に近づけたようと努力したことだったと思う。彼はハンサムでもないし、いい性格でもない。それでも、ここまで上り詰めたのだ。


 そんな彼とぼくは遠い存在だし、能力的に見ても差が大きい。それに、トランプ氏は大嫌いだ。それでも、自分の願う「なりたい大人の男」になったトランプ氏を見て、思った。少しでも努力をしなければということを。そうすれば、前が少しは明るくなるように感じたのだ。

見えないスーパームーン!

 14日、あいにくの雨のため、スーパームーンは見られなかった。だが、スーパームーンは間違いなく存在する。


 どこかで聞いた言葉だが、たとえば、月は満ち欠けする。その月の様子を、我々の目に見えた状態から、三日月だとか半月だとか満月だと称する。だが、丸い球体の月は間違いなく存在するのだ。


 人間は見えたものしか、存在を認めない。知らない世界、見たことのない世界は、存在しないと同様なのだ。だからこそ、テレビや、ネットを通して、知らない世界の存在を知る。そうして見えないものの存在を知る。しかし、その存在を認めるかどうかはやはり、見たことのないものは、遠い世界だ。
 
 見えないもの、見たことのないものの存在を知ること、認めることが自らの世界を広げるために必要だ。


 そういう時思い出すのは金子みすゞの「星とタンポポ」だ。



星とたんぽぽ


 青いお空のそこふかく、
 海の小石のそのように
 夜がくるまでしずんでる、
 昼のお星はめにみえぬ。
    見えぬけれどもあるんだよ、
    見えぬものでもあるんだよ。


 ちってすがれたたんぽぽの、
 かわらのすきに、だァまって、
 春のくるまでかくれてる、
 つよいその根はめにみえぬ。
    見えぬけれどもあるんだよ、
    見えぬものでもあるんだよ。

スーパームーン

 明日は月が地球に最も近くなって、巨大な月が見られるという。だが、問題は天気だ。明日の天気が心配だ。
 今日の月でも既に大きいというのを聞いたので、さっそく写真に撮ってみた。


2016年11月14日午前0時半ごろの月!




秋の歌5首

河風の涼しくもあるか打ち寄する浪とともにや秋は立つらむ<古今秋上・紀貫之>
(川の風が涼しいことだ。風が吹いて打ち寄せる波とともに秋は立つのだろうか!)
 しばらく前には夏の暑さにうんざりしていた。それが少し涼しくなって、同時に立秋が来た。


木の間より漏りくる月の影見れば心づくしの秋は来にけり<古今秋上・よみ人しらず>
(木の間から漏れてくる月の光を見ると、また心を悩ませ物思いにふけさせる秋がきたのだなあと感じられる!)
 立秋から少し過ぎると、次第に秋の深まりを感じるようになってきた。そんな時、森の中を散歩すると、確かにそうだ。木の間から漏れてくる月の光にいよいよ寂しい秋がきたのだなと思う。




月見れば千々にものこそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど<古今秋上・大江千里>
(月を見ると、あれこれと悲しく感じられるなあ。私一人だけの秋ではないけれど!)
 秋は深まり、あれこれ悲しく感じられる季節になった。私一人だけの秋じゃないが本当にしみじみといろいろなことが感じられて、時折感傷的な気分になる。



吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしといふらむ<古今秋下・文屋康秀>
(風が吹くとすぐに秋の草木もしおれてしまう。なるほどね、草木を荒らしていいる山の風を嵐というのだろう!)
 窓の外を見ても、黄葉や紅葉が路上に散っている。それを見れば山から吹いてくる風が草木を荒らして、あらしと呼び、嵐と書くのだろう。


秋風にあへず散りぬるもみぢ葉のゆくへ定めぬわれぞ悲しき<古今秋下・よみ人しらず>
(秋風に耐えられずに散っていくモミジの葉の行方はわからない、同じく行く末の定まらないわが身が悲しいことだ)
 もみじ葉の散りゆく様子はまさに老境にある身にはひどく悲しい。散りゆく先はどこか、老後はどうなるのか、不安が募る。