日々是好日

無知による思い込みが偏見を生み、人間の持つ煩悩が憎悪を生む。

8月15日に思うこと

 71年前の今日、昭和天皇が玉音放送を行い、戦争を終結させた。と言っても、シベリアに抑留された人たちの戦いは当分続いた。フィリピンの森に隠れた日本軍将校はそれから29年後帰国した。


 6日の広島で、9日の長崎で、原爆が数十万人の命を奪い去った。日本軍は、東アジアと太平洋で、数えきれない人々を殺した。世界中で殺し殺された記憶は受け継がれなければならない。


 人間を非人間に変える憎悪や戦争、日本はその記憶を非戦非核の遺伝子として永遠に語り続けるべきだ。けっして戦争に走ってはいけない。殺されていい人はいないし、人を殺して許される人もいない。


 リオオリンピックに一喜一憂する人たちを見ていて、平和の大切さを思う。そして、テロの根絶と核の廃絶を強く願う。戦後4分の3世紀に当たる2020年、世界中が平和な中で東京オリンピックが開かれることを強く強く願う。





テレビコマーシャル

 テレビコマーシャルを見ていて、何か嫌悪感を催させる宣伝が多いように思う。特にゲームの宣伝と携帯電話会社の宣伝が嫌で仕方ない。それに派手な宣伝も多い。


 宣伝と言えば、昔、大手広告会社に勤めていた親戚がいて、彼が言うには、宣伝は視聴者に「何なのだ、これは!」と思わせればそれでいいのだと。また、コカ・コーラの宣伝なんかはサブリミナル効果を狙ったもので、人の脳裏に商品名を刷りつけておいて、店でいろいろな飲み物を見た消費者が、気づいたらそれを買っていたりするという効果だ。


 選挙カーが候補者の名前を連呼するのも似ている。それが効果を発揮しているのも理解できる。しかし、大事なのはどんな政策を訴えるかという点にある。名前だけやたら連呼し、政策には聞く価値を感じない候補者の名前だけは覚えておいて、決して投票しない。


 コマーシャルも同じだ。その商品の価値をどれだけ宣伝できるかが大事なのだ。やたらと派手な映像で驚かせたり、名前だけ連呼していて、いったいどんな商品なのかよく理解できないものはいらいらするだけだ。


 ゲーム、携帯会社、宝くじの宣伝はうざいものが多い。一方、競輪、競馬の宣伝は無意味だ。何しろ、ギャンブルで儲かるなんてほとんどあり得ないのだから、最初からかかわらないほうがいいに決まっている。夢ばかり見させて、身を亡ぼす人を増やすだけだ。それから何の会社なのか、どんな商品なのかわからないコマーシャルも多い。


 だが、コマーシャルは消費者の好みを反映させているはずだ。消費者がどんな宣伝を見て、どんな商品を購入するか、それを反映させているなら、すなわち、現代の消費者はサブリミナル効果に弱く、派手なものを好んでいて、流行に弱いということだ。もしも、国民が落ち着いた品のある宣伝を好めば、そういう宣伝を流すはずなのだが。

オリンピック

 わたしの仕事は日本語の時間講師。8月4日から21日まで夏休みで仕事がない。偶然だが、リオオリンピックも同じ期間にある。なんという巡り合わせだろう。この結果、このところ、毎日のように深夜、オリンピックの実況中継を見て、夜が明けるころに寝ている。


 わたしがリオオリンピックに最も期待していたのはサッカーだった。だが、予選で負けてしまい、がっかりしている。次に期待していたのがテニス、錦織圭選手が決勝でジョコビッチ選手と戦う姿を想像していた。


 それが、さっき終わってしまった。準決勝で世界ランク2位のアンディ・マレー選手に負けてっしまった。これでオリンピックは終わったと思った。


 だが、待てよ、期待できるのはまだ残っている。そうだ!バドミントンに女子レスリングだ。それ以外にも陸上やバレーボール、バスケットボールなどのいろいろな種目で日本人選手が活躍している。ただ、陸上とバレーボールは身体能力の高い選手が勝つのだから、日本には初めから期待できない。


 おそらく陸上100メートルの決勝は黒人ばかりになるだろう。そこに、もしかしたら、ケンブリッジ選手が立つかもしれない。その他の日本人選手は、異次元の世界に入り込んだようなものだろう。日本で一位でも世界では最下位というような世界だ。


 バスケットボールも近いものがある。日本には渡嘉敷選手がいる。あんな長身の選手は日本では珍しい。だが、世界はもっと高い。小柄な日本人が戦っても、まるで大人の世界のスポーツに子供が参加しているようなものだ。


 それでもすべてのスポーツを応援したいと思う。とにかく小柄な日本人選手が大柄な外国人選手に対抗する姿こそ美しいと思っている。

般若心経

8月13日、仏壇に蝋燭の火を灯し、果物やお菓子をたくさんお供えして、先祖を迎える。わたしの父、祖母、祖父、母の父母等先祖の霊を迎える。私はそればかりではない。わたしの大学時代に亡くなった友人や、遠くに住んでいて、亡くなった親類たち、戦争で亡くなった人たち、事件や事故、それに地震で亡くなった人たちのことを偲んで祈る。彼らの霊の安らかでいられることを願い、己の生を全うすることを誓い、「般若心経」を唱える。


仏説魔訶般若波羅蜜多心経 観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多故心無罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜多呪即説呪曰羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶 般若心経

JUDO!

 オリンピック柔道の試合を見て思った。世界選手権金メダルとか三連覇した選手が負けている。それも、審判の指導がひとつあっただけで、負けたりするのを見て、何だかつまらないと思った。


 投げ技があったわけでもない。相手に襟を取らせないために腕を互いに出して、つかみ合いをする。また、相手の背中をつかんで力で押さえつけたりするのを見ていると、やっぱりこれは柔道ではないと思う。形だけ技をかけてみせ、攻撃していますという姿勢を見せたりするのを見ると、柔道技術の優れた者より、試合巧者のほうが勝つのだと思う。


 なんだか、柔道ではないものを見ているような気がする。柔道とは柔の道だ。「柔よく剛を制す」ともいうが、これでは「剛よく柔を制す」だ。本来の柔道の力では勝てない。もしかすると、これはもう「柔道」ではなく、「JUDO」だということだろうか。それならそれでいいが、つまらない。


 もう少し、勝敗を明確にできないものだろうか。最低でも指導の多少で勝敗を決めないでほしい。守りに徹してもいいではないか。攻撃せずにただ守り続けてもそれは引分けだ。指導を恐れ、焦って技を仕掛けようとして、失敗する選手を多く見た。指導が一つ多かっただけで負けて泣いている選手をみて、何だか主審の主観が左右しているような気がしてならない。


 もしできるなら、サッカーワールドカップなどのように、予選リーグを行い、5分間、指導などは関係なく、技あり、あるいは、一本だけで勝敗を決め、それが互いになければ、引分けとし、ともに勝ち点1とする。グループの中の1位と2位が決勝トーナメントに進む。決勝トーナメントでは5分で勝敗がつかなければ、延長戦を5分行う。その際、互いに襟を持ち合ったところから、試合を開始するとしたらどうだろうかと思う。そんなルールなら勝敗は明らかだ。「JUDO」であってもかまわないと思う。