日々是好日

無知による思い込みが偏見を生み、人間の持つ煩悩が憎悪を生む。

世界平和のために!

 北朝鮮が秋田沖にミサイルを落としたという。それも自国の西側からそのミサイルを発射したというのだ。ミサイルは北朝鮮の領土を通って、日本海にいたり、秋田沖に落ちたという。秋田県にしてみれば、漁師たちが漁をしているところ、まるで自分たちの庭先のようなところに落ちたのだ。


 たとえば、どこか銃規制のない国で、隣人が銃の練習をして、隣家の庭に向けて発砲したとしたら、どうなるだろう。おそらく、大喧嘩になるだろう。庭先に銃を打ちこおまれた人は裁判に訴えるか、ぶん殴りにいくかのどちらかだろう。だが、日本には軍隊がない。そこが弱みだ。北朝鮮はいくらでも挑発するだろう。


 もしもだが、北朝鮮が自国の西海岸から中国領海内にミサイルを放ったらどうなるだろうと思った。たぶんしないだろうが、もしもの話だ。おそらく北朝鮮は滅亡するだろう。そう思った時、日本はなめられているのだなと思わざるを得ないと何だかいたたまれない気持ちになった。


 では、日本が軍隊を持つべきかといわれれば、持つべきではないと思う。戦争は武力の威力が増せば増すほど人類の不幸を招くのだ。仮に、北朝鮮が、あるいは、中国がどんな挑発をしても絶対に戦争をしないというのが日本という国家の理想だろう。


 人に例えれば、武器を持たず、決して喧嘩をしない人だ。いつも武器を持ち、喧嘩している人は誰かといえば、やくざだ。わたしも含めた多くの国民はやくざを否定している。ならば世界の中にもやくざを否定する国があっていいのではないか。やくざな国家、いわゆる暴力団ならぬ、暴力国家がもし存在するなら、それを取り締まる国際警察、国連軍のようなものがあればいいと思う。そこに日本が参加してもいい。地球を守る警察と軍隊の創設を望む。


 そして、世界は基本的に非武装としてほしい。国際警察は地球の犯罪をなくし、国際法廷は地球から違法な国家に審判を下し、国連軍は地球を宇宙から守るのだ。そして、国際連盟政府は世界平和のために日夜努力するのだ。これがSF好きな私の夢だ。


新聞のためにゲリラ豪雨の中2キロ歩く

 わたしは新聞を取っていない。先週、家にに新聞を取って下さい。ビールを一ケースをサービスしますと言ってきたが、インターホンで断った。一つの新聞を取ると、一つの思想に影響されそうだから、新聞を読むなら、いろいろな新聞を読んだほうがいい。今ではインターネットでいろいろな新聞を読んでいる。新聞の会社も必死に売り込みをしているようだ。


 私の母は、テレビでドラマを見るのが好きだ。ネットでテレビ欄は見られるが、毎日今日は何があるか、ネットが苦手な母のためにはやはり、ペーパーのテレビ欄がほしい。そこで、わたしは週に一度新聞を買っている。土曜日なら朝日新聞、日曜日なら産経新聞を買う。一週間のテレビ番組表があるからだ。


 先日の日曜日、昼過ぎに新聞を買いに出かけた。天気はよかった。のんびり散歩気分だった。買い物する必要のある何もない。ただ新聞だけを買いに出たのだ。一番近いコンビニまで300メートルぐらい。行ってみたら、新聞はいっぱいあるが、何と、産経新聞だけがない。


 さらに足を伸ばして、2番目に近いコンビニまで歩いて行った。途中、公園の中で、冷たいものが降ってきた。セミのおしっこかと思いながら、歩いていたら、だんだんとはっきりとした雨になった。二番目のコンビニまで500メートルくらい急ぎ足で歩いた。コンビニに入って新聞を見ると、やはり産経新聞だけがない。私とおなじ考え方の人が多いのだろうか。


 外を見ると、雨がひどくなっていた。リュックの中を見ると、入っていると思った傘がない。しかたない。目の前にあった500円の傘を買って、3番目に近いコンビニまでさらに歩いて行った。その途中、目の前が見えないほど雨は激しくなった。コンビニに着いたが、ここでも同じく求めるものはない。


 意地になってきた。4番目に近いコンビニまで行った。大雨の中、何をやっているんだろうと不思議な気持ちになってきた。4番目のコンビニでやっと買い求めることができた。雨も止んだ。110円の新聞のために合計2キロ余り歩いた。


好きな日本語、嫌いな日本語!(修正)

 「好きな日本語は何ですか?」と聞かれた外国人が「ありがとう」等という言葉をあげる。わたしは「いただきます」「ごちそうさまでした」「お世話になります」「こんにちは」「おはようございます」「お元気ですか」などをあげたいと思う。中でも、「いただきます」は動植物の命をいただくという意味があり、自然界に対する謙虚な気持ちが見られていい。


 そういう質問は日本語の良さを発見するためにいいと思う。だが、反対に、「嫌いな日本語は何ですか?」という質問はあまり聞いたことがない。わたしはそういう質問もあっていいと思う。日本語を考える上で必要な作業ではないかと思う。


 そこで、多くの人に質問したい。「あなたが嫌いな日本語は何ですか?」


 わたしが、テレビで聞いたり、一般的な生活の中で聞いたりした日本語で嫌悪感を感じることばは「おまえ」「やっちゃえ!」「おれ」「ばか」「あほ」などだ。 


 みなさんはどう思うだろうか?


 別に嫌いじゃないと言う人がたくさんいるなら、それでもかまわない。いずれにしても、好きな日本語だけではなく、嫌いな日本語を考えることは、これからの日本語を美しくするために必要な観点ではないだろうか。


千代の富士-遠ざかる昭和

 昭和の横綱と言って、思い浮かぶのは誰か。


 実際にテレビで見たことのない人も含めて挙げれば、双葉山、北の富士、大鵬、輪島、北の湖、若乃花、千代の富士だろう。平成に入ってからは、曙、貴乃花、武蔵丸、朝青龍、白鳳などだ。平成も20世紀に入ってからは日本出身の横綱はいない。


 さて、昭和最後の横綱千代の富士、引退してからは九重親方として、多くの力士を育てた。その親方が昨日亡くなった。


 十両時代、大きなお腹、大きな体の力士の中にあって、小柄でスマートでハンサムな力士の豪快な投げ技は目を引いた。


 その豪快さが災いして、何度も脱臼していた。その脱臼する肩を守るために彼は筋肉をさらに強化して、精悍な顔と筋肉隆々とした体つきはまさにあだ名された「ウルフ」そのものだった。


 わたし自身、小さいころから、太った人があまり好きではなかった。男たるもの、狼のようでなければならないと思っていた。だから、「ウルフ」と呼ばれた千代の富士を見て本当に相撲が好きになった。わたしだけではないだろう。多くの女性がこの人を見て相撲ファンになったようだ。



 平成の横綱貴乃花も太ってはいなかったし、ハンサムだということで、女性ファンを増やしたが、貴乃花には「ウルフ」というような印象はなかった。ただ、兄の若乃花との間でわざと負けたりするような場面が幾度もあり、何か八百長っぽいものを感じて、好きになれなかった。やはり大横綱という印象はない。


 今、横綱の中でも「大横綱」といえば、双葉山、大鵬、北の湖、千代の富士だろう。そして、現役では白鳳がその中に入るかもしれない。片手で数えられる横綱の一人、昭和の横綱が亡くなった。千代の富士の逝去に遠ざかる昭和を想う。


 謹んでご冥福を祈りたい。

女性初の都知事

 東京都知事選で小池百合子氏が都知事になることが明らかになった。


 わたしはこれまで東京都民になったことがないが、それでも、やはり国の首都の知事、アメリカで言えば、ワシントン市長、ニューヨーク市長といったクラスだ。やはり気になる。


 東京都知事といえば、これまでいろいろな人がやってきたが、中でも美濃部都知事は本当によくやったと思う。青島都知事もよくやった。だが、あの福岡県北九州市出身の知事だけは許せない。郷土の恥であり、公費を私費化した知事。義より利を重んじた馬鹿野郎だ。


 そんな奴が辞職した後の知事選。誰が出るのかと思えば、鳥越俊太郎とかもうひとり訳の分からない、なんんだか理屈ばかり先走る候補、その他NHKを打倒しようとか言う知事。都知事選のレベルが低いなと思った。


 はっきり言って、宗教政党と結託した自民党の推薦する候補、そして、共産党と結託した民主党の候補、この二人に勝ち目はない。都民の特にお年寄りは共産党が嫌いなはずだ。そして宗教政党の恐ろしさはイスラム国で身に染みているはずだ。


もしも公明党が政権を取ろうと思うなら、宗教性を完全に払拭しなければならない。もしも共産党が政権を取ろうと思うなら、共産主義を捨てなければならない。私はそう考えている。だが、これは私だけの意見ではないだろう。多くの人が宗教が政治に関与することに恐怖を感じているし、もっと恐ろしいのは共産主義だ。


 民進党(旧民主党)の失敗は岡田代表が共産党と組んだことだ。一部の人は共産党を信頼していると思う。しかし、多くの国民は共産主義を信じていない。


 自民党の失敗は公明党と組んでいることだ。宗教が政治に関わることを多くの国民が恐れている。それに、都連の石原さんの小池氏に対する言動が反発を受けているのは明らかだ。


 小池氏が当選したのはそれらの理由が主なものだと思う。ただ、そればかりではない。他候補自体が抱える問題も大きかったと思う、いろいろな問題が絡み合って、この結果を招いたのだと思う。小池氏の発言もそれほど人を動かすものはないと思ったが、それでも彼女が勝ったというのは低レベルだったなと痛感せざるを得ない。


 ただ、小池氏のよかったのはあまりぶれていないということだ。そして、多くの候補者が愚かな発言を繰り返し、政治力のなさを露呈した。その結果、彼女が当選したのだろう。


 いずれにしても、真の政治家、真の君子はいつ現れるのかとつい思ってしまう。