ここのところ、不眠症で、毎朝2時間程度寝ただけで過ごしている。
食事はちゃんと作って母と食べているが、母はどんどん少食になっているので、いろいろ工夫している。
カレー、焼きそば、焼き鳥などを作っている。カレーは数日使う。カレーうどん、カレーそばなどにして食べている。
今日の空、雲の名前は知らないけど、ふわふわとした雲を見ていると、子どもの頃のことを思い出す。
高校生のころ、団地に住んでいたが、団地の裏の小山に登り、団地を見下ろすと、いくつもの棟がマッチ箱に見えた。
ぼくはその中の小さな箱の中のマッチにすぎない。そう思った時、ふと、芥川龍之介のことばが蘇る。
「人生は一箱のマッチ箱に似ている。重大に扱うのはばかばかしい。しかし重大に扱わなければ危険である」
それから、小山の上の草原に寝っ転がって、空を見ると、漂う雲が流れている。それを見ていると、また、山村暮鳥の詩句が思い浮かぶ。
「おうい雲よ馬鹿にのんきさうぢやないか」(山村暮鳥)
のんきに流れている雲に比べて、当時のぼくは人生を急ぎすぎていたように思う。劣等感や、いろいろな挫折の中で、自己嫌悪を何度も味わっていた。
のんびりと雲を眺めていて、わけもなく涙を流したものだ。
17日の朝10時頃起きてから20日の朝10時まで、およそ72時間の間の睡眠時間はトータルでほぼ6時間ぐらいだ。
この三日間、不眠症が続いていて、毎日夜が明けてから2時間ほど寝て10時頃起きる生活を続けている。
昼間はだいたい仕事に出るか、別の用事で出かけている。それでも体力的には何とか持っている。ただこんな生活をしていては行けないということはわかっている。
それでも、眠れないのだ。おかげで、先日は朝5時頃、次第に青くなっていく南西の空に、電線の向こうだが、西に傾いていく下弦の月を見ることができた。
銀杏並木の歩道を歩いていると、
銀杏の木の枝の間に広がる青空、
その空間に蜘蛛が浮かんでいた。
青空には白い羊雲が漂っている。
その白い色のほんわりした姿の、
のどかさに癒やされて涙が出る。
秋の日のただ穏やかで柔らかい、
日差しの中を豊かに満喫できる、
こんな日のあることに感謝する。
人生という道の路傍に咲く花や、
何気ない瞬間の光景を切り取り、
穏やかで小さな幸福を見つける。
桜の咲く頃にも紹介した川崎市麻生区王禅寺にある「王禅寺ふるさと公園」。
大きな広場にはいくつもの家族が、サッカーや野球、フリスビー、バドミントンなどをしている。
小さな子供の遊具もあり、子どもたちの喜ぶ声が響く。
公園のすぐそばにはお寺の王禅寺、野菜畑、森、さらさらと流れる清流、小さな滝、池もある。
駐車場もあって、週末は遠いところから車で来る家族も多い。