日々是好日

無知による思い込みが偏見を生み、人間の持つ煩悩が憎悪を生む。

シダレザクラ!


 先日、ソメイヨシノを見ながら目黒川沿いの道を歩いていたら、若い男女が手をつないで歩いていて、男のほうが言った。


「ほらみてみろよ。桜の枝が花の重みで垂れ下がっているだろ!こういうのを枝垂れ桜っていうんだ!」


 女が頷き、男が続けて言った。


「おれ、この枝垂れ桜が好きなんだ。」


 枝垂れ桜というのは桜の種類のはずだが、もしかしたら、いつからか、ソメイヨシノの枝が垂れ下がっているのも「枝垂れ桜」っていうようになったんだろうか。そう思って辞書で確認した。


 シダレザクラ:バラ科の落葉高木で一名イトザクラともいう。エドヒガンの変種とも、ウバヒガンの変種とも言われている。太い枝は横に広がり、細い枝は柳のようにまっすぐに垂下する。京都の平安神宮の者は特に有名である。


 大体そんな風な説明がある。やっぱり違うよなと自分の認識に間違いがなかったことにほっとする。


 ぼくの家の近くにある公園に枝垂れ桜が二本ある。毎日のように、これを見て、バス停に向かう。3月から4月にかけては、蕾がピンクになって来るのを楽しみにしている。ピンク色の蕾を見つけたときは、「来た~!」という感じなのだが、今年はそれからが長かった。ようやく数輪開いたと思ってもなかなか満開にはならなかった。


 一昨日、ようやく満開となったが、満開に至るまでの期間はソメイヨシノ以上に楽しみにしていた。そして、これから散っていく様子を見るのもまたいい。春が過ぎていくことを実感できるからだ。仕事に出る時、嫌なことを思えば、起きる気持ちも失せるが、季節の移り変わりを見るのを楽しみにすれば、元気に起きられるものだ。



日本の若い力!

 中国で行われている卓球アジア大会で現在世界ランキング11位で17歳の平野美宇選手が優勝した。


 それも、準々決勝で世界ランキング1位の中国人選手を破り、準決勝で同じく2位の中国選手を破り、決勝では、同じく5位の中国人選手を破っての優勝だ。


 現在、女子卓球の世界ランキングを見ると、1位から10位までのうち、1、2、5、10位に中国人選手が4人いる。日本人選手は石川佳純(4位)、伊藤美誠(8位)、佐藤瞳(9位)の3人だ。以前のランキング10位までを見ると、ほとんどが中国人選手だった。そこへ、日本人が食い込んできたという感じだ。


 17歳の選手が活躍しているということで、21歳以下の世界ランキングを調べてみると、驚きの結果が出た。10位までの選手のうち8人が日本人なのだ。それ以外は香港とシンガポールの選手だ。中国人選手がいない。ということは、2020年ごろ、卓球王国中国は終焉を迎え、日本が卓球王国となることを意味するのだろうか。

1  ITO Mima JPN

2  SATO Hitomi JPN

3 HIRANO Miu JPN

4  DOO Hoi Kem HKG

5 HAYATA Hina JPN

6 HASHIMOTO Honoka JPN 

7  HAMAMOTO Yui JPN

8 ZENG Jian ^^ SGP

9  MORI Sakura JPN

10 KATO Miyu JPN 


 どのスポーツでもいい。日本一とか世界一を目指して頑張っている人を応援したいと思う。今日はサッカーJ3で15歳の久保建英選手がJリーグ初ゴールを決めた。東京オリンピック世代である十代の選手が今後も活躍することを期待している。

いつどこで何が起こるかわからない!

 熊本地震から一年が過ぎた昨日、深夜、神奈川県の我が家が揺れた。震度1だったが、一瞬、6年前の東日本大震災を思い出した。


 6年前の3月11日は仕事が休みで家にいたが、母がおびえた。ぼくはテレビを、母は食器棚を押さえた。本棚の本は飛び出した。思いのほか長く揺れた。東北地方では津波が押し寄せ、大被害となった。あの時ほど、世の中、何が起こるかわからないのだと思うと同時に自然の驚異を強く感じたことはなかった。


 「天災は忘れたころにやって来る」


 たまたま、ぼくの家が東北地方でも熊本でもなかっただけだ。その地に住む人たちはたまたまその地に住んでいただけだ。天災はいつどこで発生するかわからない。誰もが慌てず対処しなければならないと思う。昨日、「熊本地震から1年」というニュースなどを見ながら、その気持ちを新たにした。


 天災だけじゃない。福島原発の事故は人災だ。それにシリア戦争も、日常的にニュースで流れる殺人事件もそうだ。災難は突如襲って来るもの、誰も予期できないものだ。天災も人災も、いつどこで起こるかわからない。これは一瞬たりとも忘れてはいけないことだと思う。その気持ちで、生きている今を充実させたい。そして、熊本の復興と人々の心の快復を祈りたい。

花筏!

 桜は満開のころもいいが、それよりいいのは、咲きそうなころと、散り始めるころだと思う。



 桜が咲きそうな頃は、期待して、日々桜の蕾を眺める。その間の心は、まるで恋人とデートする前の日のような心持ちだ。


 そして、桜の散るころには、桜吹雪や花筏が見られる。これを見た時には本当にこれが日本の四季なのだと感じる。


 季節の移ろいを味わえることは素晴らしい。これこそ、自然の恵だ。その美しさはどんなに疲れている心も慰めてくれる。


 自然は時に恐ろしい一面を見せて人間を苦しめる。地震、雷、台風など。だが、同時に人間を含んでいる自然の摂理も教えてくれる。困難と慰めを与えるのが自然だ。

女子もどき?

 昨日、テレビで「女子もどき」という言葉を聞いて驚いた。


 「~もどき」とは「~に似ているが、そうではないもの」という意味だ。「~に似て非なるもの」なのだ。例えば、「がんもどき」。雁の味に似ているが、雁ではないから、「がんもどき」なのだ。


 この使い方からすると。「女子もどき」は女子に似ているが、女子ではないというのが
これまでの解釈だ。それが違う意味で使っているので驚いた、女子のようであるが、女子ではないという意味ではなくて、男性のようであるが、男性ではないという意味で使っているらしい。なんだか気持ち悪くなってきた。


 広辞苑などで意味を調べても「似て非なるもの」という意味しか載っていない。ふと思うのは、言葉の意味が辞書の意味と変わる瞬間なのかということだ。瞬間といっても、少し長い期間なのだが、それにしてもすごく大胆な意味の転移だ。


 そのうち「男子もどき」ということばも出現するかもしれない。昔風に理解すれば、男子のようだが、男子ではない」だが、この「女子もどき」と同様に理解すれば、「女っぽい男子」あるいは「男っぽくない男」ということになるだろう。本当に気分が悪くなる言葉だ。


 言語は共通理解ができてこその存在だ。それがまったく違う意味でつかわれるとき、ぼくは気分が悪くなる。その正反対な使い方にとまどうと言ったほうがいいかもしれない。決して反対しているわけではないが、高速エレベーターに乗って急上昇した瞬間のような気分になる。