夜の新宿駅、人と待ち合わせる。
待ち合わせの時間までちょっと散歩する。
歩いている間に、迷子になる。
17歳の時、初めて新宿へ来て、迷った。
ここは一階なのか二階なのか?
新宿駅はいつだってぼくを迷子にする。
今日もぼくは居場所がわからなくなる。
ぼくはどこから来てどこへ行こうとするのか。
ぼくはいつ、ここへ来たのか、
東京はいつも人を迷子にする。
夕暮れ時の遠い町を見ていると、
そこで人々の営みが見えてくる。
夕焼けは多く人の人生を映し出す。
仕事帰りの電車内、座席に座っていたら、向かいの席に坐っている古希を過ぎたようなサラリーマン風の男性がスマホを見ながら、いろいろと操作している。
そこまでは関心なのだが、そのスマホのモバイルライトが光ってこちらを照らしている。眩しいし、なんとなく気になる。早く気付いてほしいのだが、まるで、気付く気配がない。
こういうのって自分にもあるなと思うと、人のことは言えないなと自省する。
それと同時に思ったのは、自分では気づかず、周りの人に気を遣わせてしまっているようなことはこんなこと以外にも結構あるのではないかということだ。
富士見橋から見た東急大井町線の電車。
あいにくの天気で、富士山は見えない。
電車を見眺めて、心が少し癒やされる。
目黑川で見たカルガモたち。
およそ10羽以上いたと思う。
大人の鴨、子どもの鴨たち、
泳ぎながら、餌を取る練習、
何だか微笑ましくなる光景、
子鴨たちは勝手に動いてる、
親鴨たちが追いかけている、
そんな風景に我が身を思う。
家族はバラバラになってる。
カルガモたちの睦まじい姿、
自然の中の人間になりたい。
そんな思いで満たされる時、
人として癒やされるときは、
いつだって自然の中にある。
秋の一日、落ち葉が流れる。
子鴨たちが泳ぎを練習する。
落ち葉といっしょに流れる。
そんな自然の風景が好きだ。