SEAZ THE DAY

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

土用の丑の日!

7月30日は土用の丑の日。
29日帰宅時、ウナギを売る店の前に行列ができていた。


思ったことは人は商売の策略に乗せられやすいとことだ。
そもそもなぜこの日、ウナギを食べるのかというと、平賀源内(1728~1780)がウナギ屋のために、ウナギで元気をつけようと宣伝しただけのこと。


別にウナギでなくてもよかったようだ。「う」がつけば、「牛」でもよいのだが、当時は牛肉を食べる習慣がなかっただけのこと。「う」さえつけば、何でもよいのだ。特に栄養があるということを考えれば、ウナギもうなづける。


土用とは木火土金水という五行説を春夏秋冬に当てはめたところから無理が生じてこんなことになったそうだ。


春は木、夏は火、秋は金、冬は水と当てて、さて土はというとどうするかということで、各季節の終わり18日を土にあてたそうだ。つまり本来一年に4回あったそうだ。本来は「土旺用事」と言ったが、日本人の好む省略で「土用」となったという。そして、四回のうち、夏の終わりの18日間、つまり立秋の前の18日間を特に土用というようになった。その18日間のうち、一日ごとにあてられている十二支のうちの丑の日を夏バテしそうな時期として、ウナギのような栄養があるものを食べるべきだとしたわけだ。


ウナギの値段は、まるでクリスマスイブのケーキ、バレンタインデー前のチョコレートのようにうなぎ上りだ。


高くて手が出ない。これまで、土用の丑の日だからと言って、ウナギなど食べたことがないわたしも、スーパーで値段を見て驚いている。商魂たくましいとはこのことだ。


ポケモンGOと同じだ。商魂たくましい人たちに乗せられてたまるかと食べないようにしている。


と言っても実をいうと、小さいころから、両親に「うちは貧乏だから」と言われ続けて、けっして贅沢はしないようにしているから、最初から高いウナギなど食べたいと思ったことがない。


そう、わたしは貧乏に慣れ過ぎてしまった結果、高いエビも高いウナギも高い毛皮も高いダイヤモンドも、高いものはすべて好きではないのだ。


不確実性!

 関東甲信地方でも梅雨が明けたそうだ。


 気象庁の表現で気になる表現がある。


 「梅雨が明けたとみられる」という気象庁の言い方だ。「~とみられる」の使い方は例えば、「泥棒は窓から入ったとみられる」「景気回復の兆しがみられる」「反対投票を投じるとみられる」など、たぶんそうだと思うときに使うもの。確率的には80%前後だろう。


 ということは訂正されることもありうるということだ。なぜ、そんなあいまいな表現なのだろうかと不思議に思った。梅雨明けはもしかしたら、梅雨に戻る可能性もあるということだろうか。


 諸葛孔明が赤壁で行った予想と同じだ。可能性大だというに過ぎない。外れることもありうる、それが現代の天気予報でも、同様に可能性大だということで、「~とみられる」という表現が使われるのだろう。


 人生はすべて予測不可能だ。そして、過去のことにしても確実に言えない事が多い。例えば、何らかの事件があっても確実に言えない。「北朝鮮はミサイルを発射したとみられる」という表現があったとする。本当にそうなのかどうかわからない。実は、何もしていない可能性もあるということだ。


 こんな表現を聞くたびに、日本語は面白いと思う。我が国が世界に発信する「かわいい」より、「~とみられる」などの不確実性を表す表現のほうがずっとおもしろい。


 そんな日本語はたくさんある。「おそらく」「たぶん」「のようだ」「みたい」「言えるだろう」「いえるのかもしれない」等。それらは日常的に頻繁に使われる。それだけ、日本人が不確実性を常に認識しているという証なのだろう。

政府がポケモンGO支援!?

「日本初のコンテンツの海外展開に積極的に支援をしていきたい!」


これは誰の発言かと思った。ニュースによると、ポケモンGOの世界的人気を知った政府の菅官房長官が言ったそうだ。まさかと思い、驚いた。信じがたい!政府がポケモンGOを応援する?そんな馬鹿なことがあるはずがない!


本当に信じられない。これには何か思惑があるのだろうかと思わずにいられない。ゲームに熱中する人が増えればどうなるか、仕事や勉強に熱中する人が減るだろう。それなのに、政府が支援する。どういうことだと思った。


はじめは不思議に思った。だが、よくよく考えてみれば、簡単なことだ。国民が賢くなればなるほど、政治はやりにくくなる。一部の国民が賢くなって政治を担うようになればいいのだ。大衆が賢いと政治はやりにくいのだ。だますのが難しくなるからだ。


選挙の投票率が低いほど与党はやりやすいようだ。国民の大半が賢くならないようにするためにはそうだ。ポケモンGOは最高の手段だ。


もしもそう考えてポケモンGOを支援しようと思ったのなら、素晴らしい政治家だ。いや、すごい政治屋だ。商売上手というか、ゲーム会社が消費者をだましてぼろもうけしようとするのと同じで、国民をだまして自らの政権を維持しようとする策略だ。すごい!


ポケモンGOが大好きな諸君にお願いしたい。してはいけないとは言わない。ただ中毒性があるようなので、熱中しすぎないよう、はまりすぎないように注意してほしい!ただそれだけを願っている。

はまる!

 「はまる」とは敵の計略にのせられる。だまされる。術中に乗せられる等という意味と、かかわりあって抜け出せなくなること等の意味がある。よくない意味だけでなく、いい意味でも使われる。「最近、ある作家にはまってしまった」などと使う。


 わたしが過去にはまったものはいろいろある。高校時代は、SFやサスペンスの小説にはまり、時には睡眠や食事も忘れて本を読み続けていた。大学時代にはサッカーにはまり、授業をさぼって、朝から深夜までずっとグランドにいたこともある。それぞれに、とにかく楽しかったし、夢中だった。


 社会人になってからは、落語鑑賞にはまり、ラジオの落語を録音しまくった。寄席にもあちこちへ行った。また、クロスワードパズルにもはまり、自作を楽しんでいたこともあった。夢中になったらなかなか出られない。ただし、時がくれば、自然といい思い出になって少しずつ離れていく。


 読書、サッカー、落語、パズル。どれも、まだ抜け出たわけではないが、いい関係でいられる。おそらく、そこから得られるものが数多くあるからだ。けっして夢中になり過ぎて何か困ったことがあるわけではない。適度の距離を置いて、まだ抜け切れていないというのが現状だ。


 その一方で、もう一つはまってしまったことを後悔しているものがある。パチンコとマージャン、それにテレビゲームだ。そのどれも時間と金を使った後、いつも虚しさを感じながら、無意味に時間と金を使っていた。時には一文無しになり、犯罪を犯すか、自殺するかしかないという状況に陥ったこともある。完全に関係を絶たなければ、抜けられない恐ろしいものだ。いい関係でいることなどできない。麻薬中毒と似たようなものだ。


 最近、料理と写真撮影だ。料理番組を見ると、メモを取ったりしながら、その日のうちに作ってみる。うまくできたときはうれしいし、何か味を間違ったと思ったら、よし、次はと思う。写真も面白い景色だけでなく、風情のあるものを見つけては写真を撮る。スマホを片手に見知らぬ土地などへいくと本当にワクワクする。


 さて、最近電車の中で、スマホ片手に指の運動をしている人をしばしば見かけるが、その人たちは電車を降りた後、何を感じるのだろうか。何か得たものがあるのだろうか。また、ポケモンをゲットしたという人たち、そのポケモンが実際の生活の上で、何かの役に立つのだろうか。また、時々距離を置くことができるのだろうか。麻薬性はないのだろうか、心配になる。


 「はまる」とは一方で敵の戦略に乗せられて抜け出せなくなることだ。適度の距離を置けるなら、乗せられて抜け出せなくなっているとは言えないが、どうもそうではないようだ。深夜にどこかに集まる人たち、夢中になって、知らずに立ち入り禁止区域に立ち入ってしまうなど。これは距離をおくことができない状態だ。はまったら恐ろしい。空しいものだ。そして、ゲーム会社の戦略にはまった人たちは哀れだ。

敢えて言う!

 孔子のことばに「自分がしてほしくないことを人にしてはいけない」ということばがあるが、最近、少し疑問に思うところがある。人は「十人十色」。わたしがしてほしくないことが他の人でもしてほしくないことなのかと言うと、そうでもないような気がしてきたのだ。孔子のことばは普遍なのだろうか。


 最近、驚いているのは、わたしが嫌悪する言葉を発する人が、テレビで人気者になっていることだ。例えば、彼らは他人に対して「おまえ!」と呼んだり、自分のことを「俺」などと平気で使っているが、わたしは自分の親友でもない人から「おまえ!」呼ばわりされたくないし、「おれ!」と自分を言うのは親友に対してだけだ。そんな言葉を平気で使う人をわたしは嫌悪している。また、そんな人がテレビに出てくるとチャンネルを変える。


 テレビでは、「お前」だけではない。汚い言葉がどんどん流れている。聞きたくないのだが、流れている。意味のない馬鹿笑い、人を小ばかにしたような言い方、意味不明のコマーシャル等々。それが受けているということは、わたしが考える「してほしくないこと」や「聞きたくないもの」が、世間では当然のように蔓延しているということだ。そして、テレビをつけてはうんざりするとともに、世間とわたしとのずれを実感し、つい不安な気持ちになる。


 とはいえ、そんな中、やくみつる氏が、ポケモンGOに熱中する人に対して、「侮蔑する」言ったことばは痛快だった。わたしが「言ってほしいと思う言葉」を公言してくれた。ただし、おそらく、世間は違うだろうな。そんなことを言ったら嫌われるだろうなと思ってしまう。わたしは世間の人がいやだと思う言葉は発しないように心掛けてきた。


 だが、わたしはこれから敢えて言おうと思う。世間の好みとかかわりなく、わたしが好まないことは決してしないし、言わない。また、世間の好みとかかわりなく、わたしが嫌いなものは嫌いだと、侮蔑するものは侮蔑すると敢えて言おうと思う。


 敢えて言う。日本語に「おれ」や「おまえ」が普通に使われるようになったら、日本語の美しさは間違いなく失われる。また、もしも、ポケモンに熱中する大人がこれからも世界中に増殖するようであれば、世界の輝かしい文明は衰退の一途をたどるだろう。