日々是好日 - Seize the Day

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

親の幸せとは?

 ぼくは母に言い続けた。お母さんが、幸せだと思うことが僕の幸せだと。だが、それは間違っていた。

 僕の娘が言った。「わたしは幸せよ!安心して!」これほどぼくを幸せにしてくれる言葉はなかった。

 そうなんだ。ぼくが幸せだと言うことが母にとっての幸せなんだと。

倹約生活!

  2.7リットル入りで1780円のウィスキーが駅前のスーパーで売っている。今日、片道210円のバス賃を払って買いに行った。


 ところが、ウィスキー売り場には、他のウィスキーはたくさんあるが、いちばん安いウィスキーの棚だけが空っぽだった。仕方なく、2.7リットル2700円のを買った。これじゃ、わざわざバス代を払って出かけなくても近くのスーパーでもよかったじゃないかと虚しい気分になる。


 それから、同じスーパーで100グラム99円の豚バラブロック肉を買って、もう一軒、野菜の安い店に行き、5本162円の長ネギを買い、また別の総菜屋へも行って、5個216円のメンチカツを買った。


 倹約生活は時に疲れるものだ。スーパーや八百屋や惣菜店を梯子したり、レジの前に並んだりする。やむを得ないことだが、とにかく疲れる。帰ろうとすると、バス停の前にも長蛇の列だ。10分近く待ってバスに乗車、疲れて帰宅した。

ノーベル賞!

 今日、12月10日は、ダイナマイトを発明したスウェーデンのアルフレッド・ノーベルが亡くなってちょうど120年になる。ノーベルの遺言により、1901年から12月10日にノーベル賞の授与式が行われることになる。
 ノーベルは、発明したダイナマイトが爆薬として開発され、巨万の富を築いたが、戦争兵器としても利用されたことで、多くの批判を受けた。それで、1986年、遺書を作成したという。死後、曲折を経て、ノーベル財団が設立され、1901年、第1回目のノーベル賞授与式が行われた。なお、X線の発明者、ドイツのレントゲンがその第1回目の物理学賞を受賞している。
 今年2016年は大隅良典が物理学賞を受賞。今日、賞状、メダル、小切手が授与される予定だ。これまでに受賞した日本人は以下の通りだ。

 1949年 湯川秀樹(物理) 
 1965年 朝永振一郎(物理)
 1973年 川端康成(文学)、江崎玲於奈(物理)
 1974年 佐藤栄作(平和)
 1981年 福井謙一(化学)
 1987年 利根川進(医学・生理学)
 1994年 大江健三郎(文学)
 2000年 白川英樹(化学)
 2001年 野依良治(化学)
 2002年 小柴昌俊(物理)、田中耕一(化学)
 2008年 小林誠、益川敏英(物理)、下村脩(化学)、*南部陽一郎(物理)
 2010年 根岸英一、鈴木章(化学)
 2012年 山中伸弥(生理医学)
 2014年 赤崎勇、天野浩、梶田隆章(物理)、*中村修二(物理)
 2015年 大村智(生理化学)
 2016年 大隅良典(生理化学)
 *南部陽一郎と中村修二は受賞時、アメリカ国籍
 

夏目漱石没後百年!

 文豪夏目漱石が亡くなったのは1916年12月9日。1867年2月の生まれだから、数えで50歳だった。今年は漱石が生まれてから150年。今日は亡くなってからちょうど百年の命日だ。今なら、まだ成熟しきれない年齢だ。漱石は50歳ですでに天命を知り「行雲流水」などの言葉を残している。


 漱石と言えば、前期三部作を覚えるため、「三四郎はそれから門をくぐった」と言って
いたことを思い出す。つまり、『三四郎』『それから』『門』の三部作だ。後期三部作を覚えるためには「彼岸過ぎまで行く人の心」と言っていた。『彼岸過ぎまで』『行人』『こころ』の三部作だ。


 全部読んだわけではないが、今でもいちばん心に残っているのは『こころ』だ。先生と出会い、その先生から手紙が届く。その手紙の中に、先生は大学生の時、友人を裏切り、先を越して、友人が告白した相手の女性との結婚を決める。その後、友人が自殺してしまう。自殺させてしまったことで、謝る機会を永遠に失ってしまったという話。まさに心理小説だ。


 漱石没後、百年が過ぎた。時代は大きく流れて漱石の時代からは想像もつかないような時代に変わった。漱石が亡くなる前に生まれた人も多い。しかもまだまだ元気だ。漱石が亡くなった年齢である50歳なんて、まだまだ若い。中にはかつては子供のものだった漫画やゲームが大好きな人もいる。百年の間に、時代は大きく変わった。

高齢者の運転

 日本は社会全体で高齢化が進み、元気な65歳以上の高齢者が増え続けている。ただ、元気といっても、判断力や運動能力はかなり劣っているはずだ。そんな中、高齢者による交通事故が相次いで起こっている。何歳からということは難しいが、高齢者は免許証を返納すべきではないかと思う。


 運転を誤まれば自動車は凶器になる。若い人でも同様だが、運転をする者には、高い能力が求められる。若者であっても、運転免許には厳しい検査をすべきである。少なくとも、高齢者の場合、講習だけでなく、最低限、視覚検査、瞬時に判断する力などを検査する必要がある。方法は具体的にはわからないが、いずれにしても、簡単に免許を更新しないことが大切だと思う。


 また、自動ブレーキの開発が進んでいるが、自動ブレーキだけでなく、高齢者に多いブレーキとアクセスの踏み間違いを防止するシステムも開発されていると思う。すでに進んでいるのなら、それを新しい車でもすでに持っている車でも新たに搭載することを義務付けるような条例を作れないものだろうか。


 いずれにしても、高齢者の交通事故を防ぐ対策が急がれる。最低限、都心に住む人たちの場合、運転するより、充実した公共交通機関を利用したほうがいい。車は使い方を誤れば凶器になることを多くの人が自覚すべきだろう。