日々是好日

無知による思い込みが偏見を生み、人間の持つ煩悩が憎悪を生む。

疑惑だらけ!

天下り疑惑、日報隠蔽疑惑、豊洲移転不正疑惑、森友学園寄付金疑惑、幼稚園・保育園虐待疑惑、粉飾決算疑惑、芸能人薬物疑惑、消えた年金疑惑。

北朝鮮による金正男殺害疑惑、トランプ盗聴疑惑、プーチン影武者疑惑。


覚えておりません、記憶にございませんと、藪の中に真実を封じ込め、疑惑は疑惑のまま。


疑惑だらけの世界で、飛び交うフェイクニュース、ポストトゥルースの世界で、書き出せばきりがない疑惑。もしかしたら、真実なんて、あってないようなものかもしれない。


過ぎたるは及ばざるがごとし!

 今週はサッカー、テニス、野球、アイススケート等々いろいろなスポーツをテレビ観戦し、夢中になって応援した。スポーツを見るのは大好きだ。


 ぼくは中学、高校と剣道部に属し、大学ではサッカー部に属していた。教師になってからは剣道部やサッカー部の顧問をした。常にスポーツに関わってきたと思っている。だが、ぼくは剣道をやっている時に、腰を悪くして、それが今も影響している。サッカーでは何度かけがをして入院したこともある。30歳のころは10キロマラソンに夢中になって膝を悪くした。いまも膝は痛む。


 健全なる身体に健全なる精神が宿る


 これはぼくがずっと信じてきた言葉だが、結果として、スポーツで体をこわしては何にもならない。やり方がまずかったんだろうと思う。スポーツで体をこわす人は多いと聞く。いちばん大事なのは健康だ。無理をせず、スポーツを楽しんでいるスポーツマンを見たいものだ。勝利に関係なくスポーツを楽しんでいる人を応援したい。とにかく、無理をする根性主義とか、暴力でしごいたりするスポーツは大嫌いだ。


 スポーツは大好きなんだけど、スポーツ偏重社会はよくないと思っている。


 かつて、高校生を教えていた時、水泳部の生徒が言った。「ぼくは勉強しなくても水泳で大学に行けるから勉強しない」と。これを聞いた時は情けなかった。スポーツができれば、すべてよしという。スポーツは確かにいいが、スポーツだけでは生きていけないよと思った。だが、今でもそれは疑問だ。スポーツさえできれば、勉強しなくても幸福になれる社会なんだろうか、よくわからない。


 スポーツも学問もそれぞれ楽しみ


 確かにスポーツ選手として頑張り、生涯の幸福を約束されたような選手もいる。だが、一方で、スポーツによって生涯を台無しにした選手もいる。スポーツは頑張れる時はいいが、怪我をしたり、動けなくなった時はもうどうしようもない。その点、学問は死ぬまで続けられる。毎日楽しめる。体をこわしても楽しめる。今、身体が弱ったぼくの楽しみの一つは外国語を学んだり、ブログに文章を発表することだ。同時にスポーツを見るのも大好きだ。

見ていたい俳優!

 今、朝日テレビで渡瀬恒彦の追悼番組、ドラマ「おみやさん」を放送している。

 いい俳優だった。もっと見ていたいと思う俳優だった。温かい雰囲気を持った熟年俳優だった。 

 テレビの報道番組で見たのだが、弟の渡哲也は渡瀬恒彦のことを評してこう言ったそうだ。


「身内なので非常に申し上げにくいのですが、弟は私をはるかに超えた俳優になったなと。野球のピッチャーに例えるのなら、私はボール気味のストレートしか投げられないのですが、弟の場合はフォークとかスライダーも投げられるうまい役者になった」


 確かにそうだと思った。渡哲也は無骨なところがある。3年前に亡くなった高倉健にも似ている。一方、渡瀬恒彦は周りを和ませるような温かい雰囲気がある。5年前に亡くなった地井武男もそうだった。


 ぼくが、いつまでも「見ていたい」と思う俳優はまだまだいるが、次第に少なくなっていく。若い俳優の中から、ずっと「見ていたい」と思う俳優が現れることを期待している。
 

仲良くしろよ!

世界中の国がみな自己中心に走り始めている。
いちばん大事なことは、言語は違えど、人類はみな兄弟だということだ。


誰かが言った、宇宙から見た地球は小さな丸い球に過ぎない。
宇宙の中のちっぽけな丸い球、その上で、ちっぽけな地域と地域とが争っている。


民族と民族が、宗教と宗教が争い、殴り合い、殺し合っている。
こんな空しいことをしているのはあほらしいではないか。


小さな国の中の小さな町の中でも、人々が泣いている。泣かされている。
おいおい、仲良くしろよ。助け合えよとつぶやきたくなる。


民意とポピュリズム

 オランダでポピュリズムの勢いに少しブレーキがかかったとか。芥川賞という純文学があれば、直木賞という大衆文学の賞があるのを考えれば、大衆迎合はいつの世にも変わらぬ傾向だと思う。だが、大衆迎合で人種差別をするのはどうかと思う。


 どこどこの国の人は入国を禁止するとか、何々教徒は入国禁止などというのは完全な人種差別、宗教差別だ。そんなことを大衆が望んでいて、それに迎合するのがポピュリズムであると言われているが、そのこと自体に不快感を感じる。つまり大衆が差別を欲しているから、政治家も差別をするという。


 だが、今日本の森友問題で政権叩きをやってるのもポピュリズムだと人は言う。だが、人々がこれを求めている。だから、それを追求するというのであれば、これは民意を反映するということになるのかもしれないと思う。


 大衆迎合と言えば、大衆を意識した出版文化も気になる。正しいかどうかは別として、需要があるからとして、出版する。それは例えば、猥褻な画像を求める人がいるから、そう言う画像を載せる。それが度を越して動画ともなれば犯罪になる可能性もある。


 ポピュリズムは言い換えれば民意に近い。政治は国民の民意を反映している。民意が高ければ、正しいポピュリズムになるが、民意が低ければ、誤ったポピュリズムになる。今のアメリカは差別的な国民の民意を反映している。


 今、日本の政権を批判する野党のポピュリズムのレベルが高いか低いかは今判断できない。一つ言えることは、野党の追及がメディアの報道といっしょに国民の民意を反映させていることは間違いない。問われるのはいつだって、国民の民意である。