日々是好日

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

春節と留学生!

 今日は旧正月!中国ではこの旧正月を春節と言って、この前後1ヶ月ないしは2か月ぐらい休みを取って、家族が集まってお祝いをする。ベトナムでも同じ習慣だ。今、日本語学校でベトナム人や中国人に日本語を教えているが、かなりの学生たちが国へ帰ってしまい、教室は寂しいものだ。


 中国の習慣では前日の夜を”除夕“と言い、新年の午前零時には爆竹を鳴らしてお祝いをする。僕が中国にいた時、この午前零時には、ものすごい音がし、子供たちがワイワイ騒ぐ声が聞こえて、びっくりして目を覚ましたことを覚えている。新年には「新年快乐!」と互いに言い、新しい年の健康等を祝い合う。


 この元旦に、北方で「饺子(jiao3zi/ギョーザ)」を、南方では「年糕(nian2gao1/もち)」を食べるそうだ。今でも覚えているのは中国で学生たちとギョーザパーティをしたことだ。北方の人たちは上手にギョーザを包んでいたが、、南方の人はぼくよりも下手だった。また、この休みの期間、広州や上海を旅行したり、花火を上げたりしたことも思い出す。


 今日、テレビを見ていて驚いたことがある。しばらく前に中国人の爆買いが流行語にもなったが、今年あたりは「爆留学」というのが話題になっているという。私の勤める学校と違って、中野区にある大学予備校では、中国人留学生たちが春節にもかかわらず、国へ帰らず、日本の大学に入るため一生懸命勉強しているという。早稲田や慶応が人気らしい。中国の大学は狭き門だが、留学生たちにとって、日本の大学は、少し頑張れば、入れるというのだ。日本の大学も中国人でいっぱいになる時代が来そうだ。

活躍年齢!

 男子シングルス決勝戦は第9シードで、30歳のナダル(スペイン)と第17シードで、35歳のフェデラー(スイス)が戦うことになった。フェデラーとナダルの試合と言えば、少し前の時代、2005年から2015年までの間、常にハイレベルの対戦をしてきた感がある。対戦成績はナダルの23勝11敗だ。どうなるか楽しみだ。


 女子もすごいことになった。第2シードで35歳のセリーナ・ウィリアムスと第13シードで36歳のヴィーナス・ウィリアムスの姉妹対決となった。この対戦も久しぶりのような気がする。男女シングルスの決勝戦に進出した4人の平均年齢が34歳ということになったのもすごいことだ。この対戦も何だか一昔前の対戦のように感じる。

 野球では43歳のイチローがいまだトップクラスを保っている。また、サッカーでは49歳の三浦知良選手がJ2だが、プロ選手として活躍を続けている。また、昨年引退した野球の黒田博樹投手も41歳までトップアスリートとして頑張った。スキージャンプでは葛西憲明が44歳で活躍している。アスリートの活躍年齢が高くなっているのではないか。


 アメリカ大統領も記録だ。これまでの就任時の最高年齢はドナルド・レーガンの69歳349日だったが、これを今度の今回のトランプ大統領が70歳220日と記録を破った。初めての70歳代の大統領だ。就任時最も若かったのはセオドア・ルーズベルト大統領(1901~1909)だ。


 ちなみに日本の内閣総理大臣就任時の最高年齢は終戦時の鈴木貫太郎首相で、77歳だった。日本では古くから高齢者が首相になるという歴史があるようだ。なお、最も若かったのは初代総理大臣の伊東博文で、44歳だった。明治維新のころ活躍した人たちがみな30歳代から40歳代だったことを考えると、これもわかるような気もする。


 今、健康寿命ということばをよく聞く。平均寿命から、健康衰弱・病気・痴呆等による介護期間を差し引いたものだが、今、これが伸びているそうだ。70歳の人たちが元気なのだ。テレビでスキーツアーに行く70歳の人たちが言っていた。「俺たちはまだひよっこだよ!」と。80歳でエベレストに登った三浦雄一郎に象徴されるようにこれから、人の活躍できる年齢は個人差はあるものの、人によっては80歳まで伸びてきているように思う。

富士山!

 東京に富士見坂というところがある。かつてはこの坂の上から富士山が見えたのだろうが、今や、ビル群に隠れてなかなか見えない。それでも今日の夕方、「あっ!見えた」と思って写真を撮った。ただし、写真で見ると、よく見えないものの、とりあえず、写真をアップする。ビルとビルの間、黒っぽいものが見えるが、実はこれが富士山だ。



 わたしがかつて通った高校は、千葉県某市の富士見町というところにあった。一年生の時、四階の教室で授業を受けていて、東京湾の向こうに富士山が見えた。その当時の写真はないが、けっこうきれいだったおかげで、授業中いつも見とれていて、先生に何度も注意された。成績は下がったが、それでもあの時の富士山の眺めは忘れられない。学校の校歌にも「富岳を望み」という言葉が入っていた。


 それから高校3年生になった時、何度か屋上に行ってみたが、富士山は見えなかった。曇っていたせいもあるが、工場群の煙がモクモクとたちのぼっていて、その煙で富士山が見えなくなってしまったように思った。


 最近、ニュースで、富士山から300キロほど離れた福島県で富士山が見えたという。南側では富士山から323キロメートル離れた和歌山県勝浦で見えたという。これが富士山の見えるいちばん遠いところだそうだ。かつて、東京では富士見町、富士見坂などがあり、いつも見えたのだろう。


 2016年の元日の朝、横浜ランドマークタワーにのぼった。残念ながら、初日の出は見えなかったが、富士山がきれいに見えた。調べてみたら、富士山から横浜ランドマークタワーまでは82キロメートルだそうだ。



 スカイツリーや東京都庁からも富士山を見たことがある。いつもそうだが、高いところに上らなければ見えないのはちょっと残念だ。富士見町や富士見坂というようなところから普通に美しい富士山が見られたらいいのにと思った。


梅の花!


 今日は仕事開始二日目、体調も少しよくなってきていたし、それに、今朝、通勤途中、二子玉川の駅から富士山もきれいに見えていたので、帰りに、大きな富士山を見たいと思い、少し高いところにある天空庭園というところにのぼってみた。残念ながら、富士山は霞んでいたが、きれいに咲いた梅の花が見られた。


 梅の花で、ふと思い出すことがある。奈良時代は、「花」といえば「梅の花」を指していたという。今は「花」と言えば「桜の花」だが、当時は違っていたということだ。


  人はいさ心も知らずふるさとは花ぞむかしの香ににほひける(古今集/紀貫之)


 (人の心は変わってしまうからよくわからないが、梅の花は昔から知っているこの土地で昔と変わらず素晴らしい香りに咲きにおっているよ!)


  梅が枝に来ゐる鶯春かけて鳴けどもいまだ雪は降りつつ(古今集/読み人知らず)


 (梅の枝にやってきて鳴く鶯は、春を待ち望んで鳴いているけれど、今もまだ雪が降り続いているよ!)


 これらはどちらも梅の花だ。そして、もう一つ思うことがある。遣唐使などが盛んだった当時、梅は中国から移入されたものだということ、そして、「梅」は中国語で「mei3」いったん低く「ゥ」と発音し、「メイ」と少し抑さえてあげる発音だ。カタカナで表記すれば、「ゥメイ」というようになる。この「ウメ」という日本語の起源が中国語だと言う人はいないが、何だか中国人に、「これは何だ?」と聞いたら、「ゥメイ」という返事があって、日本語の「ウメ」ができたような気がする。似たようなことばに「ウマ」がある。これも中国人に「何だ?」と聞いたら、「ma3」という。カタカナで書けば、「ゥマ」だ。「ウマ」の語源を中国語だという人もいないが、ぼくにはこれも中国語が語源のような気がしてならない。


 話をもとに戻す。「花」の話に戻すと、西行法師の歌に有名な歌がある。


 願はくは花のもとにて春死なむその如月の望月のころ(続古今集/西行法師)


 (願いがかなうなら、花の満開の下で、春に死にたいものだ。その如月の満月のころに)


 ここでいう「如月」というのが旧暦2月のことで、今で言えば3月に相当する。この花は明らかに「桜」であろう。いつからか、「花」は桜になった。何かで読んだが、桜は中国文化とは関係なく、日本的なものだったが、遣唐使などに伝えられた梅が一時期、つまり奈良時代と平安時代の途中まで、「花」と言えば「梅の花」だった。そして、遣唐使を廃止した10世紀ごろから、「花」と言えば、「桜」が中心になっていったのだという。


 いずれにしても、立春のころ咲き誇る梅は春の花だ。旧暦一月一日は例年だと2月上旬だが、今年は1月28日に新しい年になる。その後、立春が来る。年が明けて春が立つ。かつて、元旦の年賀状に「新春の喜びを申し上げます」などというのに違和感を覚えていたが、旧暦で考えるとよくわかる。そして、梅の花の開花と新春を同時に喜んだ奈良・平安時代の人たちの浮きたつような心が何だかよくわかって、こちらまでウキウキしてくる。もうすぐ新春がきて、立春が来る。今年も梅の花を探しにどこへ行こうかと少し明るい気持ちになった。

久々の満員電車!

 夕方、仕事を終えて職場を出たのは5時少し過ぎ、すでに日が暮れて、少しくらい。有楽町線に乗り、永田町まで向かう。有楽町線はそれほど混んでいないが、永田町から乗った電車はすでに、満員に近い状態だ。座っている人の中で、もうすぐどこかで降りそうな感じの人を見つけ、その人の前に立つ。そしてリュックを前に抱え、両手をあげて吊革をつかむ。電車は渋谷が近づくと、だんだん混み始める。渋谷前後でもう身動きが取れなくなる。前後左右に押される。



 降りそうだと予想した人はなかなか降りない。その隣に座っていた人が降りて、ぼくの隣に立っていた人が座る。ぼくの前の席は結局、ぼくが降りるひとつ前の駅まで空くことはなかった。東京都心から自宅近くの駅まで一回乗り換えて、合計1時間足らずが過ぎて、最寄り駅についた。駅からはバスに乗り、バスを降りた時は膝がガクガク、目まいもした。


 帰って、料理をして、食事の後、いつの間にか眠ってしまった。目が覚めたら、9時近かった。明日の準備をして、少し落ち着いた。後は日記を書いたりしてアルコールを少し入れて、寝るだけだ。


 それにしても、満員電車に揺られる1時間半は疲れる。今は昼からの仕事なので、少しは助かるが、以前、朝から働いていた時は、職場に着いた時、すでにくたくたで、職場で疲れ、帰りの満員電車でますます疲れて、時には立ったまま眠るなんていうこともあった。


 電車の中では、時々、押した押されたで、喧嘩も起こる。実際に見た時はどこかから、「押すなよ」という声が聞こえて、「おい、降りろ」「俺は降りない」「何だと!」その二人の男性は、結局、次の駅で二人もつれるようにして降りていくのが見えた。その後どうなったのかは知らない。東京近郊から通う人はかなりいる。満員もしかたないのだとあきらめつつも、何とかならないものかと思う。