日々是好日

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

自己嫌悪の波!

 自己嫌悪!一生つきまとう嫌な奴だ!


 今週月曜日、何度か注意してきた学生が、学校でゲームをしていた。休み時間であっても、ゲームはいけない、ゲームから抜けられなくなるから、と、注意してきた。実際その学生は授業中にも携帯電話をこっそり見ていることが多かった。だから、きつく注意した。反発がすごかった。休み時間は自由だと言う。私の人生は私のものだ、先生には関係ないと反発する。かなり怒った後で、こちらのほうが情けない気分になった。たったこれだけのことが、説得できないし、理解を得られない。少し自己嫌悪に陥りかけた。


 そうして、水曜日、月曜日の出来事を引きずっていた。それに季節の変わり目のせいか、風邪気味で、頭がじんじんしていた、さらに、腰痛もひどかった。そんな中、学生たちの無気力が目についた。何度注意しても変わらなかった。ついに感情が切れた。怒りの言葉を投げつけた。涙腺も切れた。しばらく自習しろと言って、教員室に戻った。心を静めなければ何もできない。感情を、コントロールしようとした。学生たちが数人謝罪にきたが、おさまらない。


 いつもは素直な学生が今日はなぜという思いもあった。もしかしたら、自分に原因があるのかもしれない。数分、いや、10分以上使ったか、なんとか感情を殺して戻った。淡々と授業を進めた。予定した範囲を終えて、余った時間は自習にした。時間がきたら、終わりにした。


 その日から、3日が過ぎたが、今も何かよくわからない感情が心の中で渦巻いている。自分は無力だ、資格なしだ、この仕事以外何もできないのだから、この仕事がだめなら、他には何も残らないという思い。


 辛い!こんな感情に支配されて身動きできず、脱出できないでいる。だが、こんなことは何度もあった。自己嫌悪の感情が寄せては返す波のように自分を苛む。そのたびに何とか脱出してきた。前向きに前向きにと生きてきた。だから、今回も大丈夫だと思う。不安は尽きないものの、そう思っている。


 大丈夫、大丈夫。何とかなるさ!ひたすらそう念じて、自分を励ましている。

運転中にポケモンGO!

 ポケモンGOをやりながらトラックを運転していて、子供を死なせたという事件があった。今日は観光バスの運転手がポケモンGOをしながら、運転していたというニュースがあった。


 運転中はもちろんポケモンも含めて、スマホゲームをやるなんてとんでもないことだ。だが、気持ちはわかる。なぜなら、わたしも以前テレビゲームに夢中になり、仕事中も、そのゲームのキャラクターが頭から離れなかったことがある。何だろうか、中毒なのだろうか。どうにも離れられない気持ちだった。


 テレビゲームをするときに最も使うのは指先、頭はと言えば、使うが、試験問題を解いたり、難しい論文を読んだりするよりずっと楽だ。だから、頭はあまり疲れない。とはいえ、結構長時間使うと頭も指も疲れる。いつのまにか得点などが上がることがうれしくて、疲れてもやり続ける。夢中になるのも本当に理解できる。テレビゲームなら、持ち運ぶことはできないが、携帯電話やスマホなら持ち運べる、すなわちどこでもできるということだ。そこに問題がある。


 ただ、やはり、かつて、子供がテレビゲームをほしがって、それを親が仕方ないと買ってやっていたことを思うと、どうしてこうなったのだろうか、子供たちだけでなく、大人たちも夢中だというのだ。大人がゲームをして何が悪いという人もいるだろうが、何かが間違っているような気がする。


 ゲームを作る人たちは実に頭がいいのだろうが、ゲームをするのは子供の心だ。高度な技術や知能は要らない。ゲームをした後、例えば、漢字パズルやクロスワードパズルをした後のような知識の蓄えもないし、頭の働きがよくなったというような感覚もない。あるおは虚しさだけだ。実際にわたしはそう感じた。その結果、わたしははまっていたゲーム抜け出せた。


 今や、持ち運びできるスマホゲームをしている人たちの頭の中はどうなっているのだろうか。これからの仕事の準備とか、何かの知識を詰め込むとか、そんな時間に使ったほうがいいのではないか。ゲームの際には仮想空間にいて、頭の中は現実から離れていることだろう。そんなことをした後で、さて、仕事だというとき、戻ることはできるのだろうか。戻れないから、運転中にポケモンGOをやるのだろう。


 脱スマホゲームを目指しながら抜け出せない人たちには忠告したい。作る人は、自らの知能を十分に働かせて、子供心をくすぐり、夢中にさせることを考えている。「はまったら抜け出せない」ということを目的にしている。抜け出されたら、失敗なのだ。もしも、運転中も、仕事中もゲームのことが頭を離れないという人が多くなればなるほど、彼らの仕事は成功したことになるのだ。それでいいのだろうか。こう考えてみてほしい。

小春日和

 11月3日は文化の日で、陰暦では10月4日。十月の別称は「小春」。時折、春を思わせるような天気になることから言われるそうだ。今日はまさに小春というにふさわしい「小春日和(こはるびより)」だった。


 今日、母と近くの緑地に行った。恋人や家族連れが大勢いて、幸せ感たっぷりの人たちを見ていて思った。私の娘が小さいころ、こんな風景を人に見せていたのかと。幸せな家庭、小さな幸せを感じる。


 最近、そういう小さな幸せをぶち壊す交通事故が相次いでいる。ぽけもんGOに夢中になっていて、児童たちの列にトラックを突っ込ませた運転手、そうかと思うと、金属バットを振り回して、若い女性や小学生の子供を殴った男、今日は中国人留学生が殺されたという事件もあった。いつどこで誰に壊されるかわからない恐怖を感じている。


 今日、緑地で無邪気に遊ぶ子供、それを見守る母親や父親。そんな家族たちを見て思った。少なくとも、今、目の前にいる彼らの上に、永遠に平和が続くことを、そして、日本中の多くの家族たちの上に、できれば、世界中の多くの家族の上に、平和が続くように、また訪れるように、ただただ願った。


 小春の月は冬を迎える支度をする月だ。次第に寒さは増していく。だが、ここしばらくの間、小春日和を喜びたい。そして、寒さがやってきても、それが人間の冷たくするのではなく、人間の心を強くすることを願う。


人間なんて!

 「人間なんてララ~ラ~ラ、ララ、ララ~」


 吉田拓郎の歌に、「人間なんて」というのがある。


 最近、人を傷つけたつもりもないのに、攻撃され、否定され、いったいぼくが何をしたのかと思い悩むことが多い。ぼくは誰も傷つけたくないし、誰とも争いたくない。それなのに、人から傷つけられる。


 かつてそんなことがあったとき、ぼくは、誰とも口をきかないほうがましだと思って何度も閉じこもった。今日も実は閉じこもりたい気分だ。しかし責任がある。だから、もう一度扉を半開きにした。心の動揺や湧き上がる感情を抑えて、人間であることを忘れ、ただひたすら機械に、やるべき仕事をこなした。そして仕事を終えて帰ってきたとき、思ったことはすべての仕事を辞めてしまおうということだった。


 それでいいのか、どうなのか、今も考え続けている。どうすべきか、わからない。ただ言えること、それは若い時なら、いざ知らず、この年になって、仕事を投げ出し、社会とのつながりを断つのは、人間をやめることに等しいということだった。そして、そこへ浮かんだのが吉田拓郎の「人間なんて」だ。考え込むな。人間なんてこんなものさ!


 「人間なんてララ~ラ~ラ、ララ、ララ~」




折れそうな心

心折れそうになる時がある。

願っても願っても、

思い通りにならない時、

決してわがままではなく、

人のために尽くしても、

尽くしてもなお、

思い通りにならぬ時、

心が壊れそうになる。

何をどこを間違えてしまったのか、

考えてもわからぬ。

ひたすら平和を願っても、

絶えない争い事に

耐えねばならぬ時がある。


心折れそうになる時がある。

願っても願っても、

小さな望みが叶わぬ時、

決して贅沢な望みではなく、

笑顔と平和を望んでも

望んでもなお、

憎悪や嫌悪に囲まれる時、

心が破裂しそうになる。

何がどこが行けなかったのか、

考えてもわからぬ。

ひたすら人の幸せを祈っても、

かなわぬことに

耐えねばならぬ時がある。