日々是好日 - Seize the Day

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

ステレオタイプ!

 2005年4月、ぼくは中国へ行くことを決めた。中国の深圳で日本語を教えるためにいくことにしたのだった。だが、当時、中国全土で反日デモが行われていた。深圳でも大規模なデモがあったというニュースを見た。母が心配した。ぼくも含めて誰もが不安に感じていた時だった。現地の日本人に問い合わせたら、反日デモをやってるのは一部の中国人だということだった。


 香港経由で深圳に行った。蛇口という港に着いた時、迎えてくれた馬さんという女性はとてもかわいい人だった。一緒にタクシーに乗り、町中へ向かった。ほぼ一時間かかったが、料金は100元もしなかった。当時のレートで日本円に換算すると1500円ぐらいだろうか。安いと感じた。着いてみたら、深夜にもかかわらず、日本語学校の先生たちがみんなで歓迎会を開いてくれた。感激したし、またみんなの笑顔がうれしかった。


 来る前の怖いという予想と実際に現地に着いてからの感想にはかなりのギャップがあった。デモは?と聞くと、時々やってますけど、多くの人は、この人たち何やってんだろうという目で見ているという。日本では、反日デモが頻繁に起こってて、勢いもすごいというニュースを見ていたが、どうやら、あのニュース番組は一部を切り取って、大げさに見せているということだろうか。


 それから三年間、ぼくは中国でいろいろな人と出会った。90%の人はいい人だったと言っておこう。社長は日本人の特性をよく知っていて、それを巧みに操るかなりの策士だった。また詐欺師まがいの変な中国人にも出会った。だが、多くの中国人は本当にいい人ばかりだった。中国人は声が大きいというが、「大きい声で発音しないと日本語は上手になりませんよ!」と言っても、おとなしい性格で、いつも小さい声で話す中国人もいた。


 先入観の恐ろしさを痛感した。中国人はみんなこうだと思うのは大間違いだと思った。小さいころ、アメリカが作った戦争映画を見て、ドイツ人はみんな馬鹿な人たちだと思ったが、当然そうではなかった。数人出会ったドイツ人はみな素敵な人だった。どの国にもいい人がいれば悪い人もいると思った。


 中国の人口は日本の10倍だ。悪い人が日本に10人いれば、中国には100人いる。いい人が日本に10人いれば、中国には100人いる。当たり前のことを思い知らされた。それから、個人的な感想だが、いい人は、日本より中国のほうが割合で見ても、多いと感じたぐ。だから、怖いと思って行った中国が日本と比べたら、天国のように感じたのだった。


 母は韓国人と中国人を嫌っている。理由は母が育った時代の学校教育と家庭教育のせいだ。小さいころから、軽蔑するように教育されたのだ。ぼくもそうだ。小さいころから、家庭教育の中で、中国人と韓国人を軽蔑するように教えられた。だが、いつのころだったかは忘れたが、ステレオタイプという言葉を知ったころから心に変化が生じ始めた。


 アメリカ人がみんなフランクかと言えばそうではない。日本人がみんな勤勉かと言えばそうではない。みんな育った環境の中である程度、統一化される。しかし、みんながみんなそうではないのだ。一人一人を見なければならない。ぼく自身、所謂「日本人的」な人間ではない。中国人から「日本人じゃないみたい!」と言われたことがある。そんなふうに「日本人」だからきっとこういう人間だと決めつけられるのが好きじゃない。


 誰もが育てられたられた環境によって多少の影響を受けるが、それは後でいくらでも変えられる。中国で育った人は、テレビの戦争ドラマを見て、日本人は恐ろしいと思う。また学校で日本人を鬼か何かのように教えられて信じ込んでしまう。そういう人たちが、日本人と出会い、そうではないのだと驚かされるのだ。


 ぼく自身も外国人をそれぞれに、この国の人はこういう人、あの国の人はああいう人と決め込んでいた。さらに言えば、国内における、ある地域の人たちはみんなこういう人たちだと思い込んでいた。だが、出会ってみて、いやそうじゃないんだと思った体験がたくさんある。


 人をその住む地域によって一括りにすることほど恐ろしいことはないと思っている。福島に住んでいたからと言って、差別する人たち、蔑まれた地域で育ったからと言って差別する人たち、民族によって差別する人たち、彼らは本当にかわいそうな人たちだと同情を禁じ得ない、それが今の僕の気持だ。


 ぼく自身、ステレオタイプの被害を受けたことがある。K市出身?じゃ、やくざな街だから、怖いと言われた。信じられないことだが、転校した先の中学生たちはK市の人たちはみんな怖い人だと思っていたらしい。


 高齢の母は頑固だ。一つ嫌い始めると、もうだめだ。何を言っても考えを変えない。その母に、最近もう一つ加わった偏見がある。肉を買うとき、どこの産であるかを気にする。福島産とか外国産とかの肉を見て、食べたくないというのだ。それは間違っているよと声を荒立てずに言うのが、最近のぼくの日課だ。

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