日々是好日

煩悩だらけで無力で、罪深い人間の戯言です。

教師を馬鹿にすべし!

 教師をしていて、本当に残念なのは、勉強できないのに教師を馬鹿にする学生だ。


 ぼく自身、高校生の時、教師を馬鹿にしていた。だが、教師を馬鹿にするのには、自分が徹底的に勉強して、「なんだ!この先生、たいしたことないな!」と思うことだ。そんなことを考えたきっかけは三島由紀夫の「教師を馬鹿にすべし」という文章を読んでからだった。この文のタイトルから、何だろうかと思って読んだのだが、実は、バカにするために必死に勉強して、教師を越えろということだった。


 ぼくは特に英語の先生を馬鹿にした。その発音、そして知識のなさを馬鹿にするために猛勉強した。そして英語の先生を越えたと思った。思い上がりだったかもしれないが、それでも、先生に質問を繰り返し、先生を困らせたことを覚えている。先生はぼくの質問に対して、「先生の宿題にさせてください」と言った。これがぼくの自尊心をくすぐった。英語に関してはずいぶん頑張った。何しろ当時の英語教師は、英語の発音がひどかったし、英語圏に行ったこともないという教師が多かった。だから、馬鹿にするのも意外と簡単だった。


 自分が教師になってから思うことは、ぼくを馬鹿にしていた学生の多くが、ぼくより偉くなっていることだ。そして、実は教師とはそういう学生たちに乗り越えられるためにあるのだということ。親を乗り越えるように先生を乗り越えるというのが、実は教師と学生の関係なのだと思っている。


 ぜひとも、ぼくが教える学生にはそういうふうになって、ぼくを馬鹿にしてほしいと思っている。頑張って勉強し、ぼくの日本語を乗り越えるぐらい、あるいは並ぶぐらいの日本語を手に入れて、「先生、こんなことも知らないんですか」と言ってほしいのだ。だが、今、教えている学生たちの中には、勉強もせず、ただ教師を馬鹿にする者が少なからずいる。
 
 そういう人たちは何なんだろうと思った時、そこには、勉強とか学問とかいう世界ではない何か別の次元があって、そこの次元で教師を馬鹿にしているのではないかと思われた。生き方とか、あるいは、発想の仕方とかそういう部分でしっかりと自分を持たねば、学問で優位に立っていても、馬鹿にされるのだ。最近になって、ようやく、こういう点もあるのだと再確認している。

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